昨日、レッスンしていたときの話。

 

 

この生徒さん、なかなか色々なものが

弾けるようになられて来た方です。

 

 

身体でギターを覚えている感じがしたので

 

「もう、数日ギター弾かないくらいでは

(身体が演奏の動きを)忘れることはない感じに

なってきましたね」

 

とお伝えしたら、すごく喜ばれていました。

 

 

でも、とても感心することを口にしました。

 

 

「嬉しいけど、そうであっても

毎日弾きます」

 

 

全然、気づいてないところで

本質をつかまれているなぁ、と思いました。

 

 

 

たしかに、演奏を身体で覚えると

数日弾かなくても大丈夫になります。

 

 

逆に数日弾いて身体が忘れるということは

身体操作をそこまで深く身体に刻み込めてない、

ということです。

 

 

この生徒さんは明らかにもう弾ける。

 

 

身体操作が身体に入っている。

 

 

でも、同時に精神まで素晴らしい境地に

達されたようです。

 

 

 

弾けるし、しばらく弾かなくても退化しないのに

それでも自分から望んで毎日弾く。

 

 

別に誰に披露するわけでもないし、

別に演奏を仕事にしたいというわけでもない。

 

 

他人から見るとタダの趣味と

思われるようなことだけど、

それでも自分は毎日弾く。

 

 

これは到達できそうで、

その実なかなか到達している人はいない、

と思うのです。

 

 

 

ふと、私淑している先生の言葉を

思い出しました。

 

 

先生はこう残されました。

 

 

習慣は徳性と離すことのできないもので、
第二の天性ともいわれる。

知も技もこれに結ばれねば本物にはならない。

習慣を軽んずるのは人間の破滅である。

 

 

 

なかなか厳しい表現ですが、

まさにそうだと思うのです。

 

 

ギターでも同じ。

 

 

演奏するのを習慣にして、大事にしている人は

無名の有力者になると思います。

 

 

こういう生徒さんがうちにはたくさんいるのが

僕の誇りであり、幸運だと思います。