ギターは練習方法が重要です。

 

これは散々言ってきたことです。

 

 

そして、全く今でもそう思います。

 

 

でも、この当たり前の真実も

使う人のメガネによって

捻じ曲げられることがあります。

 

 

 

例えば、先の「練習方法が重要だ」という

アイデアは曲解すると…

 

練習方法が重要なのだから、

ちゃんとした方法を探さないといけない

 

 

そう捉えてしまうとYouTubeを徘徊して

一日が終わりかねません。

 

 

 

練習方法が重要というのは

練習方法がその時の自分に

フィットしてないと時間を費やしても

上達しない、もしくは、上達が著しく遅い、

ということを意味しているアイデアです。

 

 

でも、そもそも練習方法で迷っている段階で

練習方法の良し悪しを見抜く眼力は

持ち合わせていないことが多いのです。

 

 

そんな眼力を持ち合わせているなら

練習方法云々が問題にならないはずなので。

 

 

 

だったら、どうするか?

 

 

そこででてくるのが

「えーからやれ」というアイデアです。

 

 

要は、出会った練習方法を

とりあえずやってみてどうなるか様子を見る、

というアイデアです。

 

 

で、これも曲解すると

2~3回しかやってないのに

「えーからやれ」を実践した、

と口にするケースがでてくるわけです。

 

 

 

そういう場合はどうしたら良いのでしょうか。

 

 

その解決策は実は簡単です。

 

 

眼の前にでてきた練習法を

徹底的にやる。

 

 

それで上達を感じられないなら

なぜ、この方法だとダメなのか、という

理由を人に説明できるくらいまでやる。

 

 

そこまでやれば仮に自分にフィットしない

練習方法と出会っても活路が見えてきます。

 

 

 

いつも書いてることですが、

今は情報がありすぎて翻弄されてしまう

時代なんですよね。

 

 

ある意味、情報を自主的に制限したほうが

良い時代だとも言えると思うのです。

 

 

ところがそれは思っている以上に難しい。

 

 

それほどに自己コントロールというのは

難しいのです。

 

 

 

でも、それを「めんどくさい」と捉えるか、

「いいトレーニング」と捉えるかで

未来は変わるでしょうね。

 

 

前者の捉え方をしたらギターも辞めるでしょうし、

他の事をやっても面白くない人生が

展開されるかもしれません。

 

 

でも、後者の捉え方をしたら、

色んな可能性が拓ける建設的な人生が

展開するでしょうね。

 

 

 

だから、今自分がアクセスした練習方法のみを

素直にやる。

 

 

その方法に出会ったということは

なにかあるはずなのです。

 

 

だから、一旦結果は脇において

その方法に専念する。

 

 

 

その方法との出会いに感謝して

実践できたら最高ですね。

 

 

 

それは一種の「素直さ」だと思います。

 

 

現実に対する素直さですね。

 

 

 

やはり「素直」というのは最強なのだ

と思います。