速弾き出来るようになったら
自分の演奏上の問題は解決するだろう。
これは僕がギター始めた当初、
考えていたことです。
そう考えて基礎もないのに
速弾きに明け暮れていました。
結果、速弾きなんか一切できない状態で
速弾きは挫折。
バンドをやっていたのが救いだったと
今ではわかります。
バンドで必要になるスキルに集中していくと
自然と速弾き練習する暇がなくなった。
注意がそれて熱意も低下。
今から考えると
「そもそも速弾きを求めてなかったんだ」と
思います。
だって、思考の根源は
速弾き出来たらいろんなものが弾けるだろう
というものだったわけだから。
指が器用に動けば
そんな動きを必要としないものは弾けるように
なるはずだ。
という思考だったわけだから。
さっき、ある人のブログを読んでて、
頭の中にこのような以前の記憶が
蘇ってきました。
苦笑いするしかなかったです。
というのも、当時の僕に
今ならこう言ってやるからです。
「いやいや、勉強せー」
と。
速弾きと書きましたが、、、
純粋に速弾きを求めていたのではなく。
器用に何でも弾ける状態を
目指していたわけです。
そういう才能あふれる人間像を心に描いていた。
でも、そういう才あふれる状態を
古人は戒めているのです。
ニーチェは
「才能が一つ多い方が、
才能が一つ少ないよりも危険である」
と言っているし
スピノザは
「人があれもこれも成しうると考える限り、
何も成しうる決心がつかない」
と残しています。
孔子も
才能に優れただけでは馬も名馬に成らない、
という意味の言葉を残している。
速弾きも、その魅力から
命を懸けるのなら意味があると思います。
でも、何でもかんでも弾けるようにしといたら
問題がなくなる、というのは
経験的に違うと思うのです。
でね、面白いのがこっからですよ。
本当に大事なことにフォーカスすると、、、
めっちゃ弾けるものが増えるという、、、
結果、演奏が仕事になったし
人の演奏を高めることが
今は仕事になっているわけです。
なんでも弾けるようにしようと思うと
何も弾けず、、、、
本当に重要なことに絞って、
1コンセプトで突き抜けると、、、
なんでも弾けるようになる。
ギターにはこの逆説現象があります。
是非、1コンセプトで突き抜けてください。
追記
この重要な1コンセプトというのが
身体の使い方、TONE×RHYTHMですね。
身体の使い方を調えて
TONEとRHYTHMを表現する。
そのための表現力を磨く。
これが1コンセプトです。