これはある男の日記に書いてあった話。

 

 

 

 

オランダ語の辞書が高くて買えない。

 

 

なので、借りてきた。

 

 

借賃を払って。

 

 

そして、書き写す。

 

 

中略

 

 

飯を炊くにも薪がない。

 

 

仕方ないから縁側をはいで、

柱を削って、これを燃やして飯を炊く。

 

 

困難もここまで来たら感激だ。

 

 

 

昔の人の話なので、

表現を現代風にしましたが、、、、

 

 

この話、すごいと思いません?

 

 

辞書が買えないから

お金を払って借りてきて、

家を削って、飯焚きするんですよ。

 

 

中略としましたが、この中略の部分には、、、

 

 

冬にふすまがない、とか

母親が病気とか

兄弟が小さくて使い物にならないとか

書かれているのです。

 

 

 

もう、今から考えるとありえない話。

 

 

これをただの貧乏話だとおもうか、

もっと違うものを感じるか。

 

 

僕は後者でありたいですね。

 

 

 

さて。

 

 

この話からわかることは

そうまでして勉強したかった。

 

 

自分のやりたいことにくらべたら、

貧乏なんか鼻で笑うレベルである、

ということでしょう?

 

 

 

もちろん、ギターにおいて

ここまでやる必要はありません。

 

 

やろうとしてる人がいたら、

流石にやめさせると思います 笑

 

 

そういう浅薄な、表面的な解釈ではなく、、、

 

人間やる気になったら

ここまでやるってことなのです。

 

 

 

〇〇がない、、、

 

 

センスがない、金がない、能力がない

器用じゃない、運動神経がない、

リズム感がない、そもそも向いてない、、、、

 

 

こうやって〇〇がないっていうことを

気にしてたかが趣味1つやめてしまう人

っています。

 

 

 

でも、そんなの関係ねーってことです。

 

 

まぁ、本当にやりたいことではなかった、

というケースもあるから

一概には言えない部分はあるのですが、、、、

 

 

 

楽器弾こうと思って、

ギター買ってくるまでしておいて

「〇〇がない」などといって

卑屈になるのはアホらしいと思うわけです。

 

 

よく、「健全な精神は健全な肉体に宿る」

とか言うけど、先の貧乏話なんか知ったら

あながち全てにおいてそうとは

言い切れない気持ちになるのは

僕だけでしょうか。

 

 

あんな極貧生活続けてて、

健全な肉体だとは思えませんからね。

 

 

 

要は、気概です。

 

 

別に精神論を論じるつもりはないのですが、

そもそも気が枯れてたら

何事もうまくはいかないよね、という話です。

 

 

 

練習方法は大事。

 

 

実践も大事。

 

 

でも、それを支える気概と言うか、

気骨と言うのはもっと重要だと思う、

という話でした。