安いことを「良心的」と言っていると、

頭の中もそのように操作されてしまう。

ほとんどの場合、安いものは

従業員を酷使したり、

質の悪い素材を使ったりして作られている。

 

これは、先日ツイッターで見つけた言葉です。

 

「操作される」という表現は

個人的には違うと思うけど、

要は信じるようになるってことです。

 

自分が信じるように

「自分で」自分を操作してしまう。

 

これは言えるとおもっています。

 

先のツイッターの発言を紐解くと…

 

安い事=良心的と信じている。

安いものに飛びつく

(安いもの=良心的だから)

中身が大したことなくても受け入れてしまう

(良心的だから)

ホントは中身がすごくても高ければ

その価値がわからない

(良心的ではないから)

 

みたいな感じでしょうか。

 

これはたくさんある中のほんの一例ですが、

よくあることだと思います。

 

僕は今では違いますが

過去はこういう感じだったので

人は信じているとおりになる

というのはホントだと思っています。

 

さて。

 

これ、ギターに当てはめたら

どうなるでしょうか?

 

自分のことを「センスない」と言っていると

そのように自分を扱う…

 

ということになるでしょうね。

 

その「センスない」という認定が

本当であろうがなかろうが。

 

そして、「センスない」というのが

本当にギター弾けるようになることや

音楽楽しくやることと関係なくても。

 

この可能性をどう見るか?

ということだと思います。

 

この可能性に価値を感じるか?

ということです。

 

この可能性は有益なのでしょうか?

 

人は自分が信じるようになるのです。

 

ものの見方というのは

ものすごく重要だと思いますが

いかがでしょうか。