エックスで素敵な言葉に出会いました。
花を支える枝、枝を支える幹。
幹を支える根。根は人目にふれない。
要は根は全てを支えているのに
みえないと言っているのです。
これはなかなか深いと思います。
見えない部分が
全てを支えているのだから
本当に大事なことは
見えない部分に隠れているという
ことですよね。
「見えない」ということは
どういうことでしょうか。
それは注意をはらわれない、
ということでもあるでしょう。
例えば他人の評価なんかもそうですよね。
見える部分だけみて評価されがちである、
ということです。
ということは見えない部分を
見てくれる人は貴重だと言うことも
言えると思います。
他人ではなく自分にベクトルを向けると
自分自身も見えない部分を軽く扱う、
ということではないでしょうか。
みえないものは基本軽く扱いがちです。
他人も軽く扱うでしょうけど
自分も見えない部分は軽く扱いがちです。
実はさっきまで法事に
言ってたのですが
お寺の坊さんが言ってました。
「日頃から先祖を意識している人は少ない」
というようなことを。
人間はみえないものを軽く扱うという
好例な気がします。
それはさておき。
先の言葉はギターの言葉ではありませんが
ギターでも同じことは言えるのです。
では、ギターにおいて
「根」とは何でしょうか。
普段意識しない「根」とは何でしょうか。
普段軽く扱いがちになる「根」とは何でしょうか。
演奏技術で言うなら
身体操作は根っことなるでしょう。
それを使ってトーンとリズムを表現する。
トーンとリズムはその意味では
幹かもしれませんが
身体操作と同時に表現するものだから
僕は根だと思っています。
他にも…
練習を続ける力や
続ける工夫をいれる創造力なんかも
根になるかと思います。
でも、先の言葉が示すように、
こういう根に近いものは
見えにくいし地味です。
重要さに気付いて練習しても
じきに単調な感じがして、
飽きてしまいやすい。
だからといってここをサボると
植物と同じで根腐れしてくるのです。
あなたは根を大事にしているでしょうか。
人の演奏を見るときも
その華麗な手さばきにばかり
目が行く人は多いですが、
根の部分はみえないのです。
それを忘れて羨んでしまったりするのは
人のサガですが、そうなると苦しくなるのは
自分自身です。
ギターでも上達して
ずっと長く楽しく関われる人は
こういう地味な事を淡々とやっているものです。
根を培養するということはそれほどに
強力だと経験上思います。
あなたは根を培養しているでしょうか。