スムーズにうまくなって、音楽を仲間と楽しむ人が世の中にはいます。
でも、一方で、なんとなくうまくはなるが、何故か、音楽を楽しめない。
そして、腕を磨くことで解決しようとするがなかなか楽しむことができず、苦しむ人もいます。
この差は音楽に興味があるかないかで生まれるのでしょうか?
家が音楽一家なんていう環境的に恵まれた条件があるから起こることなのでしょうか?
時間とお金に余裕があるかないか、なんていうことが原因で起こることなのでしょうか?
そうではありません。
音楽に興味がなく、指先が不器用で、リズム感がなくても音楽が仕事になる人もいます。
家庭が全く音楽と接点がない人でも音楽を楽しめる人はいます。
ましてや時間とお金に余裕がある人のほうが少ないわけですし、それで音楽楽しんでいる人はいるのだから時間とお金も関係ないわけです。
僕はこの問題をずっと考えてきました。
で、その問題を解決するべく発信もしてきました。
で。
最近、当たり前だけど見落としていることに気づきました。
あまりに当たり前な内容だったのにここを表現してないなぁ、と思い当たったのです。
なのでシェアします。
音楽を楽しめる人とそうじゃない人の差
さて。
先の音楽を楽しめる人とそうじゃない人の差ですが…
これは在り方にあります。
在り方とという表現が、わかりにくい場合は何者として振る舞ってるか?と考えてください(そういう意味で使っています)
ここに差があるのです。
うまくいく人というのはみんな自分をミュージシャンとして扱っている。
だから、ミュージシャンとして振る舞うんです。
意識しているしてないに関わらず。
でも、音楽を楽しめない人と言うのは自分をただギターを弾いている人として扱っている。
これが長年、たくさんの生徒さんを見てきて感じることです。
音楽全体を見ている人とギター演奏だけ見ている人、という事も出来るかもしれません。
これは何も社会的に音楽で生活しているからミュージシャン、そうじゃないからギター弾いているだけの人、といった単純な話ではありません。
心の中で自分をどういう風に扱っているか?という話なのです。
ギターを弾いている時、あなたは何者か?という質問の答えなのです。
他人があなたをどう評価するか?ということは関係ないのです。
如何にあなたが初心者でギター全然弾けるとは言えない状況であっても関係ありません。
あなたが自分をどう扱っているか?
ミュージシャンとして扱っているなら振る舞いはミュージシャンのようになります。
当然、練習の内容は変わります。
音楽を楽しむにはどうしたらいいか、ということをいつも考えのベースに置いています。
ただのギター弾いている人なのだ、と思っているなら…
ギターが上達することだけを考えているから、それなりに上手くはなるけど…
音楽を楽しむことはできず、いつまでも過酷な修行のような練習を自分にも他人にも要求するようになるでしょう。
さて。
ここで重要なのはあなたがどちらの在り方か?ということではありません。
あなたはどちらでいたいのか?ということでは無いでしょうか?
あなたはどちらでいたいですか?