2000年以上前の書物に鋭い記述があります。

 

 

エックスで見つけて、

感じるものがありましたので

シェアします。

 

 

それはこんな記述…

 

 

来たりて学ぶを聞けども、
往きて教うるを聞かず。

 

 

 

意味は…

 

教えを受ける者はすすんで来て

学びとるべきである。

 

教えを与える者から出向いて教えるなど

とは聞いたことがない。

 

 

 

要は自分を磨くというのは

主体的な行為だということです。

 

 

誰かが教えてくれねぇ~かな~、などと

受け身でいるようでは話にならない、

という怠惰を戒めた言葉でもあります。

 

 

 

これ、ギターも同じだと経験上思います。

 

 

これは積極的に先生や、

出来る人に聞くという具体的行為に

顕れてなくても良いのです。

 

 

「聞く」という行為を起こしていても

自分から学ぶ気がない人は

何のヒントも得られませんので。

 

 

先の教えは具体的な行動を示しているように

見えますが、現実で検証してみたら

わかります、態度の問題です。

 

 

 

その意味で言うと

現代は主体性がある人にとっては

とてもいい時代ですね。

 

 

YouTube一つ見ても主体性がある人にとっては

関連動画等、情報がたくさんあることは

とてもいい環境となり得ると思います。

 

 

主体性がある、ということは

換言すると自ら問題提起する力がある

ということでもあるし…

 

自ら目的を設定する力がある、

ということでもあるからです。

 

 

 

しかし、受動的な人にとっては

逆に作用すると思います。

 

 

次から次へと来る情報に翻弄される。

 

 

情報の海で溺れる

 

情報でジプシーする

 

 

かねてから色んな表現で顕されておりますが

主体性が無いとすぐに情報に翻弄されるのが

リアルだということも言えると思うのです。

 

 

 

面白い時代でありますね。

 

 

人によって見え方が違っているのだから。

 

 

物理的には同じ世界を共有しているように

見えてその実は違う、という。

 

 

このあたりの話を突っ込むと長くなるので

割愛しますが…

 

 

 

重要なのは主体性と受動性…

 

あなたはどちらのタイプなのか?

 

ということでしょう。

 

 

そして、もっと重要なのは…

 

これからあなたはどちらのタイプへ

向かうのか?

 

ということでしょう。

 

 

 

あなたはどこにいて

どこへ向かうでしょうか。