ブッダの残した言葉というか教え、

つまり、仏教と呼んだりしますが、

そこに、ものすごく核心をついた

言葉がありました。

 

 

こんなのです。

 

 

道を修めるものとして

避けなければならない二つの偏った生活がある。

 

 

一つは欲に負けて欲にふける卑しい生活

 

 

一つはいたずらに自分の心身を責めさいなむ

苦行の生活。

 

 

 

見たときに、

 

「めっちゃギターと一緒やん」

 

と思いました。

 

 

さすが四聖と呼ばれるだけあります。

 

 

実はギターもこの二つをやってしまうと

うまくはならないし、なったとしても

最後は虚しくやめてしまうことに

なりかねないのです。

 

 

 

欲に負けて欲にふける卑しい生活

 

 

ギターに当てはめるなら、

チヤホヤされるためにギターソロとか、

超絶技巧的なものや派手な奏法の習得に

やっきになったりしているのは

これに当てはまるかもしれませんね。

 

 

これはなにもソロや超絶をやるな、

という意味ではなく、

「チヤホヤされるために」という部分が

ミソであります。

 

 

やっていることがバッキングであっても

バンドのみんなの演奏に貢献するために、

とか聞いてくれる人に快適な演奏を

届けるために、というような

利他心がないなら同じようなものです。

 

 

やっていることがソロや超絶でも、

利他心みたいなものが根底にある場合は

虚しくはならないものです。

 

 

 

次の、

「いたずらに自分の心身を

責めさいなむ苦行の生活」。

 

 

これも結局は欲に振り回されているからこそ

起こることだから先と同じだと思うのですが、、、

 

 

「うまくなるために、、、」

 

とか言って、続きもしないエクササイズや

何も考えずに「基礎」と冠した

機械的フレーズを弾きまくることなんかは

これに当てはまるかもしれません。

 

 

苦行だとおもっているのに

自分の心が発するサインを無視して、

目的のために手段を選ばない状況の事。

 

 

他にも、音楽の本質を考えずに、

他人と技術レベルを比較して、

自分を意味なく貶めるように

物事を捉えているのも

これに当てはまると思います。

 

 

人に批判されるのが嫌だから

あらかじめ先に自分を責め、

人の批判から逃れよう、

みたいな感じはこれになりやすいかもしれません。

 

 

 

ともに共通しているのは

自分だけが良くなりたいという「欲」が

ベースになっているのです。

 

 

もちろん、自分を担保しなければいけない

局面もあるのですが、自分とともに

他人にとっても何らかメリットが

発生するような心の使い方をすると

この二つの道は避けることが出来るのです。

 

 

 

そして、この二つの道を避けることが出来ると

やってくるのは

楽しくギターを弾き続けることが出来る未来です。

 

 

楽しく音楽と関わることを続けられる未来です。

 

 

バンドやってるとか、セッションに参加しているとか、

一人で家で弾いてるとか、DTMやってるとか

全く関係なくやってくる

「楽しく続けられる」未来だと経験上思います。

 

 

もちろん、弾けるようになるための

アプローチは重要ではありますが、

結局、弾けるようになったあと、

この二つの道に陥ってしまって

続けられなくなった、、、、、

 

 

知らない間に本末転倒していた、、、、

 

 

なんてことは意外と気づかずに

起こっているケースは多いのです。

 

 

ここは注意したいところですね。

 

 

 

参考になれば嬉しいです。