さっきの話です。

 

サポートクラスのメンバーの一人と

やり取りしていました。

 

この方、元水泳選手です。

 

 

で、そのやり取りの中で、たまたま、

 

10キロのダンベル上げるのが

フィットする段階の人に

200キロのバーベル上げろというようなアドバイスは

しない

 

みたいなことを言ったら、

御本人の過去の話をしてくれました。

 

これがとても素晴らしいとおもったので

シェアします。

 

 

こんな話です。

 

 

> 実は、これと似たような経験を

>

> 水泳でしたことがあります。

>

>

>

>

>

> その頃は、

>

> 「速く泳げるようになりたい」という一心で、

>

> 担当コーチの言うことをほとんど聞かなくなり、

>

> ネットや雑誌で集めた

>

> トップスイマーのコーチの練習メニューやトレーニングを

>

> 自分なりに勝手に解釈してやってました。

>

>

>

> たぶん、コーチも「もう勝手にせぇや」と

>

> 思ってたと思います。

>

>

>

> そしたら案の定、タイムは出ない、

>

> ケガはする、メンタルがやられるわで

>

> 何一ついいことがありませんでした。

>

>

>

> 身の丈を超えることやると痛い目に遭い、

>

> 結局は遠回りになるという、

>

> ある意味で貴重な経験をしました。

>

>

>

> 「身の丈」って守りに入るみたいな言葉で

>

> 嫌いでしたけど、歳を重ねると

>

> その大事さが分かりますね。

>

 

こういうことが言える時点で

優秀だと思いませんか?

 

こういう段階を超えているから

言えるわけですからね。

 

僕は優秀だと思います。

 

そんな人がそばにいることが嬉しいですね。

 

 

 

さて。

 

この構図。

 

実はギターでもよくあることです。

 

 

> 「速く泳げるようになりたい」という一心で、

>

> 担当コーチの言うことをほとんど聞かなくなり、

>

> ネットや雑誌で集めた

>

> トップスイマーの練習メニューやトレーニングを

>

> 自分なりに勝手に解釈してやってました。

 

 

これなんかまさにそう。

 

全く同じ構図が存在します。

 

 

ギターに置き換えたらこんな感じでしょうか。

 

 

「かっこよく弾けるようになりたい」という一心で

コーチの言うことを聞かなくなり

ネットや雑誌、本で集めた

トップギタリストの練習メニューやトレーニングを

自分なりに勝手に解釈してやってました。

 

 

よく、

「上手に弾ける人に師事しないといけない」

という教えを耳にします。

 

確かにそうです。

 

そもそも弾けない人に師事すると

とんでもないことになります。

 

 

でも、同時に、、、、

 

うまく弾ける人が

あなたを育てられるとは限らない、

というのも現実なのです。

 

 

もし、上手に弾ける人がコーチ能力も高いなら

僕はとっくの昔に廃業です 笑

 

僕はご存知のように

YouTubeもやらず、自らの演奏も見せてません。

 

もし、演奏力が高い=コーチ能力が高い

という方程式が成立するなら、

僕はとっくに廃業してないといけません。

 

 

でも、実際はそうなってないわけですよ。

 

それどころか、僕の教えをそのまま使って

日本一のバンドを2年連続で作り上げた

優秀な方もいるじゃないですか。

 

参考:日本一のバンドをコーチしたうちの生徒さんの話

 

 

 

さて。

 

これが指し示すことはどういうことですか?

 

 

演奏上手い人の言うことを聞いて

うまくならなかった人が多いってことですよ。

 

実際、沢山の生徒さんを見ていると

この経験をしている人は

かなりたくさんいることがわかりますからね。

 

 

じゃあ、なんで演奏上手い人の言うことを

安直に採用してうまくいかない経験を

してしまうのか?

 

もう、おわかりですよね。

 

演奏力が高い=コーチ能力も高い

 

演奏力が低い=コーチなんか出来ない

 

こんな安直な方程式を信じてるからです。

 

 

 

もちろん、演奏はそれなりに出来ないとダメです。

 

でも、それとコーチ能力は別。

 

 

これがわかってないから、

安直にトッププレーヤーの言うことを

神様の教えのようにして追いかけてしまうのです。

 

 

 

人には段階があります。

 

最初からプロの演奏者は

あのように弾けたわけではないのです。

 

いわれてみたら当然でしょう?

 

でも、無視していませんか?

 

 

こういう「見えない部分」を想定できるだけでも

今のやり方は変わるのではないでしょうか。