石の上にも三年という。
しかし、三年を一年で習得する努力を
怠ってはならない。
これはあの松下幸之助さんの言葉みたいです。
ツイッターで先日見つけた言葉です。
どういう流れで
この言葉を発されたのかによって
微妙な意味、ニュアンスが
変わりかねないのですが、、、、
どういう流れの言葉かわからなかったので、
文脈無視でそのまま解釈します。
個人的には「習得する努力」というのが
ポイントだと思いました。
普通に捉えると、
3年かかるものを1年に短縮しようとしなさい、
みたいな意味ですが、、、
個人的にはそうするときの
心の態度の話なんじゃないかと思いました。
3年かかって成し遂げるものを
1年でやろうとする。
つまり、3倍の速さで
成し遂げようとしているわけです。
これって並大抵のことじゃありません。
めっちゃ真剣じゃないとできない
と思うのです。
いつも習得することを考えている。
夢に見るレベルなんじゃないかと思うのです。
でも、この気概があると、
道が見えてくると言われて、
否定する気にはなれません。
というのも実体験があるからです。
この言葉を聞いて思い出したのが、
ギター弾き始めた時の事。
僕はご存知のように
ギターには全く適正がありません。
指先は不器用で、運動神経は鈍く、
リズム感は大縄跳びに入れないレベルな上、
音楽が嫌いだった。
でも、いとこが見せてくれた
ヴァン・ヘイレンのライブビデオを見て
開眼したわけです。
早速楽器が弾きたかったけど、
親に反対され、高校3年間、楽器は封印。
楽器を購入するのにバイトしようとするも
それも猛反対をくらい、
親に人生を邪魔されている、という
屈折した感覚しかなかったです。
でも、今から考えると
この3年間が良かったんです。
経済力がない高校生が
3年間もやりたいことができない。
この状況は当時の僕に
工夫を与えてくれたと思うのです。
その時にできること、
考えられることは全てやりました。
過去のミュージシャンの作品は
良いと言われるものを自分の趣向無視で
聞きまくりました。
ライブビデオも見まくりました。
好きなミュージシャンが出てくる雑誌を
手に入れられるだけ手に入れ、
インタビューを熟読しまくりました。
自分にはセンスがない、適性もない。
だったら、作ってやれば良い、
という発想でした。
今みたいにウェブで無料で
何でも見れる時代ではなかったです。
いちいち、お金がかかります。
だからこそ、音楽とビデオは
TSUTAYAで借りまくり、雑誌は立ち読み。
これは持っておきたい、という
インタビューが載っているものだけを買う
という工夫を自然としていました。
いちいちお金がかかるので
それはそれは立ち読みの集中力は
今より遥かに優れていたと思います 笑
借りた音源とビデオも
返さなければいけなくなるので
さっさと見ないといけません。
それに当時の僕にとって数百円というお金は
少額ではありません。
たくさん借りたら
1ヶ月の小遣いは底をつくのです。
だから、一回で吸収する必要がありました。
だからでしょう、
自然と感情移入させていたのです。
どんな気分で演奏してるんだろう?
現場はどんなのだったんだろう?
プライベートは充実してたのかなぁ?
色んな想像を膨らませながら
音源もビデオも堪能していました。
これが後に、ギター始めて1年で
バンドを組み、
アドリブをやれるようになった原因だ
と今では思います。
さて。
1年というワードが出てきたので、
僕の発信を長らく読んでくれている場合は
思い出してほしいのですが、、、、
初心者の90%は1年以内に挫折する
というフェンダーのデータがあります。
僕の発信ではおなじみですよね。
よく言うことですが、改めて、
考えてみてください。
昔より今の方が圧倒的に環境的に有利なのに
当時の僕とは間逆な残念な結果が
出てしまっているのが今だというわけです。
※ちなみに、当時もギターは
挫折率の高い楽器だと思われていましたが、
90%なんて高確率のものではなかったと
おもいます。
みんなそれなりに
弾けるようになっていたのです。
でも、それって結局、気概だと思うのです。
夢にまで見なくてもいいかもしれないけど
要は真剣さ。
「趣味だから」とか
「俺はプロになるわけではないから」などと
いう見当違いな言い訳を持ち込むスキがない気概。
これが3年を1年にする工夫と努力に
つながる気がしてなりません。
かねてから情報は選べ、減らせ、
みたいなことを発信しています。
それは、この気概を生みやすくするための
工夫だと思っています。
ガチャガチャ情報があるから、
情報の海の中にいるから
雑念に囚われ、目移りするのです。
そもそも、存在した気概も
枯れてしまうのです。
要は気概。
それが鍵だと思えてなりません。