よく「音楽を楽しみましょう」とか
「ギターを楽しみましょう」とか
耳にしませんか?

この「楽しみましょう」メッセージは
僕がギター始めた約30年前から
耳にする言葉です。

きっと耳にしたことありますよね。

でも、この「楽しむ」って
どういう意味なんでしょうか?

そういうのってあまり考えたことがないなら
ちょっと考えてみてほしいのです。

というのも、楽しくなくなったら
ギターなんてすぐに
弾けなくなってしまいますから。

「趣味でやっているんだから」とか
なんとか言って
ギターなんてすぐに置いてしまう。

だから、楽しむということは
どういうことなのか?

ということを考えるんだけど、
こいつは厄介です。

というのも、そもそも
「楽しむ」とは何なのか?
ということが改めて考えるとよく分からない…

なのに、「楽しめない」という判断だけは
何故か出来る…

正体がわかるようで
わからない存在というのは一番厄介でしょう?

なので、この話は
楽しむということがわからない人のための
ヒントになったらいいなぁ、と
思うのです。

これからお話する話は僕の持論ですが
長年、考えてきてやっとたどり着いた
結論です。

もちろん暫定的ではありますが
ピンときたら採用してもらえると
ギター弾く楽しさというものが
言葉として捉えられると思います。

言葉として捉えられたら
意図的に利用することが出来るので
ギターを続けやすくなります。

ということで、楽しむという言葉の
結論をお話したいのですが…

これは、自分の進歩感を認識することだ
と思います。

ギターだけに限らず、
仕事でも学校の勉強でも最も辛いのは
進歩してないとき。

やれどもやれども努力が実らないと感じると
人間の心は折れてしまいます。

だから、進歩しているところを見つけること。

昨日のあなたと今日のあなたは違います。

今日のあなたと明日のあなたも違います。

過去と今を見て、
一ミリでもいいから
進歩しているところを見つけること。

未来に目標を掲げて、
今日確実にやれることをやることにより
望む未来がやってくる確信を感じること。

それが「楽しむ」ということではないか
と思います。

ギターはセンス才能ではなく
必要なことをやるかやらないかで
弾ける弾けないが決まります。

如何にセンス才能があり、
音楽一家に生まれようが
必要なことをやらない人が
弾けるようになることはありません。

逆に、センス才能なんか1ミリもなく
音楽とは微塵も縁がない家に生まれようが
必要なことをやると
プロ活動が出来るほど弾けるようになるのも
これまたギターの面白いところです。

ギターに限らず人生はすべてこうなっていると
僕は思っていますし、それを古来
立命と言ったわけです(立命館大学の由来)

そうやって自分の未来を創造することは
それ自体が実に楽しいことです。

ぜひ、あなたも今、確実に出来る
必要なことを実践し
ギターを手足のように意のままに
弾いている未来を手繰り寄せてください。

追記

楽しむためには

今確実に出来ることで
かつ、弾けるようになるのに必要なことが

出来たらいいわけですが
そのファーストステップを
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