本当のことは後になってよく分かる。
これは歴史が散々繰り返し
見せてきた現象です。
地動説なんて典型例ですよね。
古代ギリシャにおいてすでに
アリスタルコスが地動説を唱えたそうですが
認められない。
コペルニクスは「それいったらやばいよね」
ということで地動説を隠していた
ある種の賢者。
ガリレオは
「ホンマのことは言わなあかんやろ」
ということで地動説を唱えまくって
犯罪者扱いです。
1600年くらいにやってやっとこさ
ケプラーが認められる。
アリスタルコスが生きたのは
紀元前250年くらいだから
約1800年くらい人間は
本当の事を認めなかった事になります。
こうやって見ると嫌になるほど
人間はバカであることがわかるけど
これは何も歴史的な話だけにとどまりません。
僕ら、ギタリストでもこういうことはある。
それを教えてくれるのがスティーヴ・ヴァイ。
彼はジョー・サトリアーニの弟子だけど
こう語っています。
「ジョーのレッスンについては
その当時よりも後になって、
彼がいかに突出したギター講師だったかが
わかったよ。」
こういうものなんですよね。
これは要するに
教えというのは受け手の器にあったものしか
受け取れない
ということを表しているのです。
ここからわかることは、
自分の段階に合わないものに
惑わされているといつまでも
ギター1つ楽しく弾けるようにならない
ということなのです。
これが今はめっちゃ難しいですよね。
知的好奇心を満たす情報が山程あって
頭ばかり大きくなる。
ギターは特にそうだけど
弾けないのに頭でっかちとか
かなり残念な仕上がりになってしまう。
じゃあ、この残念な仕上がりを避けるには?
好きな曲を気にせず弾けば良いのです。
別に弾けないフレーズがでてきていいし
一曲通せなくても良い。
ソロが上手に弾けなくてもいい。
いちいち、「弾けないこと」に
ストレスを感じる必要も、
自分のセンスを疑うこともする必要はない。
「できないこと」というのは
「そこ乗り越えたら楽しく弾けるぞ」
ということをギターが教えてくれているのです。
ギターはこうやってトラブルが起こってから
それを乗り越えるために
情報収集したり工夫したりすると
誰だってうまく弾けるようになる楽器です。
だから、最初は
えぇから弾け
というのが最高のスタートなのです。
参考になれば。
追記
とはいえども好きな曲を弾くのに
指針がないとどうして良いのかわからない
というのもこれまた現実でしょう。
そう思うならこれを読んでみてください。
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「えぇから弾け」は実戦できるように
なっています。
追記 その2
同じ出来事でもそれを「ストレス」と
意味づけるか、「課題を与えられた」と
意味づけるかで結果は大きく変わります。
前者ならギターは嫌になる。
後者ならギターは進歩のツールとなる。
どっちが最後、楽しめるのかは
言わずもがな。
この意味づけにより未来がかわるというのは
ホンマですよ。
なんといってもアウシュヴィッツで
理不尽な殺戮を生き延びた
賢者の結論ですからね。
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