以前書いた内容の続きをシェアしましょう。
第1回目
第2回目
3.「物事をすぐに理解できない」
これはそもそも、すぐに理解できるものなどない、
ということを再認識したほうが良いと
おもっています。
すぐに理解できるものはある、という
反論があるかもしれませんが、
それは理解した「つもり」であるというのが
真相だと思います。
浅い理解なら出来ているものはあるでしょうが
100%の理解を示しているものなど
果たして本当にこの世にあるのかどうなのか
個人的には甚だ疑問です。
ましてや、ギターに関しては
満足に弾けないのに理解もへちまもないし
まずは理解もクソも脇に置いておいて
弾けるようになることが先決だと思う。
弾けるようになって、
いろんな曲を個人的に味わって
人に演奏聞いてもらって
たくさん意見もらって
誰かと演奏をあわせて披露して
様々な毀誉褒貶を経験して
理解が進むもの。
そうやって理解を進めども
結局、窮め尽くすということはない世界
なのではないかと思うのです。
大体、難しいことを論じずとも
そんな簡単に理解できたら面白くもクソもない。
一生続く趣味となる人がいる時点で
際限なく深みがある営みが演奏であり
音楽だとおもいます。
理解し尽くせないからこそ
理解しようと思える。
それが美しく、充実した態度ではないでしょうか。
どうせ終わらないのだから
窓外の景色見るように
ゆったり自分のペースで楽しむがよろしいと
思うのです。
急いで理解して、わかった気になって
悦に入るなど単に浅薄な己をひけらかすだけ。
SNSの時代になって
己の達した証を誰かに求め、うまく権威にこびて
それをひけらかすのもいる、ということが
以前より確認出来る時代になってしまったけど
そんな風に他人に認めてもらわねば
価値を感じられない自分をさらけ出すなど
非常に幼稚であります。
それこそとんだ恥さらしであると思えてならない。
演奏とは、音楽とはもっと個人的な営みです。
同じやるなら、演奏だけでなく
音楽そのものを味わって
そこから教訓を得て
人生に活かして行くからこそ
楽しいと思えると言うもの。
わかる事にこだわらなくて良い。
どうせわからないのだから。
わからないのだから
わからない中、わかろうとする
探求するその営みをゆったり味わえば
弾けるだの弾けないだの
良いカッコしたいだの恥かきたくないだの
人が認めるだの認めないだの、
権威が云々、関係ない。
そういう面倒くさい思いからも解放され
音楽を純粋に楽しむことが出来る。
そういう境地に至ろうとしてもらえれば
本当に純粋に楽しく、
音楽だけでなく日常生活そのものが楽しいと
思えるような毎日になるかと思います。