先日体験レッスンをやりました。

50代の女性でしたが、
お会いして素直な純朴な方だという印象を
受けました。

彼女は体験レッスン前のアンケートに
こう書いていました。

ギターを習いに行ってる友達が、
「発表の場が大事だ」と言っていて、
やたらと、どこどこで弾くんだーとか、
弾いたーとか、の話をしてきたり、
動画を送ってきたりするのだけど、
私は今のところ、そうでは無いので、、
と、モヤモヤしてしまっています。

私は、一人で練習して、
知ってる曲を弾けるようになった!ってだけで、
楽しいのに、、、。

発表の場がないのに、練習してる私は、
意味がないことをやっているのかしら??と、
ものすごくモヤモヤしてしまい、、、
それが今のところ、悩みごとです

「発表の場が重要」。

これは昔からよく言われる話。

確かにそうです。

何も間違ってないです。

発表の場を設けると
リミットが決まるから練習にも実が入る。

人前に出ると思っているほど
身体が動かなくなったりして
練習の在り方を見直せる。

そういう諸々のことが積み重なって
上達スピードが速くなる。

こんな風にいい事づくしです。

故に発表の場を持つことは
上達という目的からすると
良いやり方です。

しかし、上達が全てでしょうか?

ギターうまくなるために
ギターを弾くのでしょうか?

こういう根本を考えたときに
上達のために云々という考えの正当性は
揺らぐことが多い。

もちろん、上達こそ全てなのだ、
という人からするとそれでいい。

しかし、ギターを弾くという行為は
趣味でも良いのです。

趣味とは以前からお伝えしているように
自らの趣(好きなこと、
「良いなぁ」と思えること)を
味わうものなのです。

好きなことに没頭し、
日常の生活の流れと違った時間を体験する。

それは文字通り、
「別天地」を自らの中に持つ行為であり、
それはたとえ地位も名誉も財産も家族も友達も
この世のすべてを剥奪されても
自らの中に残るものなのです。

だから、古来、壺中の天という話が
伝承されている。

⏩️壺中の天に関してはこちらをクリック

こういう別天地を自らの中に
創る行為が「趣味」なのです。

これは全然、大げさな話ではなく
本当にそうなる。

これはやったものにしかわからない。

だから、僕は彼女に
「あなたのギターのやり方で良いのです」
と伝えたら後日、彼女がメールをくれました。

そこにはこう書かれていました。

特に、私のギターとの向き合い方を
「聖域」と言ってくださったことは、
何よりの救いとなりました。

本当にありがとうございました。

あなたのギターを楽しむ時間は
聖域となっているでしょうか。

自らの中に聖域を持つことは
決して亡くならない
一生物の財産になると思いますよ。

追記

ちなみに先の彼女には
ちゃんと上達の実感も得てもらいました。

ピックの持ち方ひとつで音が変わる驚きもあり、
ずっと独学で不安だった気持ちが
とても軽くなりました。

メールにこう書いて
送ってくれましたしね。

上達は結果だから
然るべきことをやれば
誰にだって実感できるものなのです。

追記 その2

壺中の天の出典はこれです。

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