以前、ある生徒さんの演奏を聞いた時の話です。

彼は、ある有名なギタリストの
シグネーチャーエフェクターを使っていました。

スイッチを入れた瞬間、
アンプから飛び出してきた音は、
確かに彼の憧れのギタリストの音
そのものでした。

このように機材の進歩は著しく、
憧れの音は簡単にお金で買える時代に
なったんだな、と痛感しました。

生徒さんも、その音を出して
とても満足そうでした。

憧れの人に近づけた悦びがそこにはある。

でも…

正直に告白すると、
僕はその音を聞いて、
少し興が冷めるのを感じていました。

なぜだと思いますか?

それは他人の音だから。

換言するなら
自分の音ではないから。

先の生徒さんの場合、
彼の中から溢れ出たものではなく
機械が創った音だったからです。

「自分の身体操作」から
生まれるトーンは、
世界で自分だけのものです。

自分の音が誰かの音と同じだと言うのは
自分的には憧れている人に近づけた感じがして
悦に浸ることが出来るものですが…

客観的に見ると、
単にモノマネしておわっている状態に
なりかねない。

しかも、自分の腕でそうなるなら
その人に力もあろうし、そこに迫力や凄みを
感じるけど…

機材でそれを達成しても
なんだか誤魔化しているみたいで
かえって興が冷めるような気がするのは
僕だけでしょうか。

自分の出音を、
自分の手で完全にコントロール出来る…

そこに本当の美しさがあると思うし
それでこそ、機材の呪縛から解放され、
本当の自由を感じる境地が生まれると
思うのです。

機材を使う立場

機材に使われる立場

あなたはこれからどちらに
向かって進むでしょうか?

追記

ちなみに同じモノマネでも
ここに記されているモノマネは
自分を創るためのモノマネです。

⏩️本物のモノマネとはいかなるものかを知る