先日、ツイッターでこんな言葉を見つけました。

 

> すべてが敵に見えてしまう時とかがすごくあった。
>
> でも、そうじゃなくて、やっぱり闘うべきものは、自分の中の心であって、誰が悪いって責める前に、自分の心を戒めなくちゃいけない

 

これはあの尾崎豊の言葉らしいです。

 

僕はあまり尾崎豊のことは知らないんだけど、こういうイメージを持ってなかったのでなんか新鮮でした。

 

そして、なんかすごく自分にも思い当たることがある言葉でした。

同じ様に感じたことがあったからです。

 

 

僕は自分の容姿にコンプレックスがありました。

髪の毛がチリチリだからです。

スチールウールなんていうあだ名をつけられたくらいです。

 

当時、彼女が出来ないのはこのスチールウールのせい。

 

そして、俺がスチールウールなのはオヤジの遺伝のせい。

 

父と母はともに公務員で、職場恋愛で結婚したのですが、母は職場でいわゆるマドンナだったというのです。

そんな男を選べる立場にあった母がなんでスチールウールの父を選んだのかずっとわかりませんでした。

だから、母が父なんかを選ばなかったら俺はこんなコンプレックスをもつ必要がなかった、と母をよく責めていたのです。

 

若い時によくある悩みです。

 

でも、これって全部自分が作り出した幻のようなもの。

 

別に髪の毛がスチールウールで誰に迷惑かけるわけでもない。

それが「みっともない」と思っているのは紛れもなく自分なのです。

 

スチールウールだから彼女が出来ない

母が父を選んだから苦労する

こんなのもそう思っているのは全部自分。

 

実際にそうかも知れないけど、そんな事、自分が気にすることと何の関係もないのです。

自分が自分に対する態度が悪いから、コンプレックスをもつのです。

 

 

起業したてのころも、インターネットを活動の場に置いたときも色んな人に嫌味に似たようなアドバイスを頂きました。

結果、僕は随分、世間を敵視しました。

四面楚歌とはこういうことをいうのか、と何度思ったかわかりません。

親戚もみんな敵だと思っていました。

 

でも、今になって思うと、それも自分が勝手に敵視していたわけです。

 

本当の敵は自分の心の中にあるのです。

 

 

ギターでも同じことが言えます。

 

ギター教えていると自分以外の何かのせいにする人にはたくさん遭遇します。

 

でも、それもその人の心の中に本当の問題は潜んでいます。

 

自分ではわからないけど、他人の立場になるとそれがすごくよく分かる。

 

今はギターの練習方法や知識なんかいくらでも簡単に手に入ります。

にも関わらず…

 

やれ方法が合わない。

やれ、時間がない。

やれ、才能やセンスが無いからやってもムダ

という声はよく聞きます。

 

でも、そんな風にいってるとそういうものばかり目にする羽目になるのです。

現に人の脳は自分が意識するものを見るように動くことがわかっています。

 

出来ない理由にフォーカスすると出来ないように世界が見える。

ダメな理由にフォーカスするとダメな部分ばかりが目につくのです。

時間がないと言っている人はより時間がない理由が目につくのです。

 

問題を作るのはいつも自分。

だからこそ、解決させることも出来るわけですが、そのためには自分の見方を変える必要がある、ということです。

 

練習方法を色々やってもダメ

努力をしているのにダメと感じるのなら…

 

自分のものの見方は本当にまっすぐ見れているのか自分を疑ってみると良いかも知れません。