パソコンがご逝去されました。

 

 

お前のパソコンかよ、

と残念に思ったかもしれませんが、

まぁ、とりあえず読んでみてください。

 

 

ちゃんとギターのヒントに繋がりますから。

 

 

 

さて。

 

 

パソコンが逝ったとわかった瞬間の話です。

 

 

「今まで頑張ってくれてありがとう」と

素直に言えたら良かったけど、

気持ちに余裕がなかったのかして、

モヤモヤしておりました。

 

 

そういう時は人間弱いもんで。

 

 

出費が云々

変な使い方しただの、してないだの

バイオリズムが悪いだの…

 

グダグタ心の中に湧いてくる。

 

 

なんとも弱いです。

 

 

 

そんな折、ふと思い出しました。

 

 

 

変えられるものと

変えられないものが云々

という言葉があったな、と。

 

 

そういう感じのことををいった人がいたな、

と思い出して、調べてみたら

ニーバーの祈りというらしいです。

 

 

 

以下に引用します。

 

 

 

神よ、変えることのできないものを
静穏に受け入れる力を与えてください。

変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを
区別する賢さを与えてください。

一日一日を生き、
この時をつねに喜びをもって受け入れ、
困難は平穏への道として受け入れさせてください。

 

 

 

「いやー、ほんまやな、これ」

 

とつぶやいてしまいました。

 

 

良いですね、この、

「受け入れさせてください」というワード。

 

 

変えることが出来ないものの中には

受け入れがたいものがあるけど、

自分の頑張りでは無理ですわー、

しんどいわー。

 

というのが、漂ってる。

 

 

 

だから、もう、知らん。

 

 

俺には無理やから頼んます。

 

 

自分ではどうしようも出来ないから

静かに穏やかに受け入れさせてください。

 

というこのニュアンスがお気に入りです。

 

 

 

昔はこういうのを見たら「頑張れや」

とか思ってるような人間でしたが、

今では頑張れば頑張るほど

自分が如何に無能かというのが

よくわかるのです。

 

 

ほんと素直に

「降参します」という感じになります。

 

 

先の言葉を読んだ時に、

スーッと「あぁ、仕方ないな」と思えました。

 

 

3年くらいしか寿命がなかったけど

今までありがとう。

 

という感覚が沸き起こりました。

 

 

 

さて。

 

 

前置きが長くなってしまいました。

 

 

何でこの話をしたかというと、

ギターも同じだからなんです。

 

 

 

練習はしたら良い。

 

 

自分が信じる練習をしたら良いのです。

 

 

でも、実際に「弾けた」だの

「弾けなかった」だの

「上達した」だの

「しなかった」だのというのは

変えられない部分です。

 

 

そこを変えられると思っているから

練習方法で迷って結局、

努力を積み重ねられなくなるのです。

 

 

youtubeとかでギターの練習動画とか

演奏動画とか見まくって

「なんか色々やった感」を

得ただけで終わってしまうのです。

 

 

 

プロセスは変えられます。

 

 

どんな練習方法を採用し

どれだけ継続するか

 

 

こういうのはプロセスです。

 

 

これは変えられる。

 

 

選択の余地があります。

 

 

 

しかし、その結果はコントロール出来ません。

 

 

如何に正しい練習方法を知っていても、

効果的に実践できてない人はおもっている以上に

多いのが現実ですからね。

 

 

それに結果を素直に受け入れられないと

選択を誤ります。

 

 

 

で、ギターは楽しむためにやっているのに

楽しめなくなって、逆に苦しむ事になる。

 

 

これでは何のためにやっているのやら、

という状態になってしまう。

 

 

 

変えることのできないものを

静穏に受け入れ

 

変えるべきものを変える勇気を持ち

 

変えられないものと変えるべきものを

区別する賢さ

 

はギターにおいてもあったほうが良いと

思いますがいかがでしょうか。