見えないものが見える人っていますよね。
昔は霊能者みたいに呼ばれて、
僕が子供の頃は宜保愛子さんとか
テレビに出てましたね。
最近だとなんとかリーディングとか
言うみたいですね。
実は、過去にそういう「見えない世界」のことを
教えてくれた人がいます。
この方も、僕の人生においては
影響度の高い人です。
そういう方の存在もあったし、
そもそもそういうものを排除しようとして
思考を巡らせても排除できなかったこともあり、
そういう「見えない世界」を
否定する派ではありません。
ただ、なにぶん、誰とでも共有できる話ではないから
あまり、普段、こういう公の場では
言いません。
さて。
先日、偶然、そういう見えないものが
見える人とお話させてもらえる機会に
恵まれました。
その方は、
僕が音楽の仕事をしていることを知り、
『すごいねぇ』
と言いました。
何がすごいのかと言うと、、、
音楽は向いてないはずなのに、というのです。
その方には見えなかったんでしょうね。
僕が音楽を仕事にしているビジョンが。
まぁ、そう言われたからといって
本当に僕が音楽に向いているかどうかは
しりません。
その方の言うように本当に向いてないのかもしれません。
その人に見えなかっただけで
実はめっちゃ向いてるかも知れません。
でも、少なくともその人には
「向いてない」と見えたわけです。
そして、向いてないものを仕事にして
10年過ごせるのはすごいというわけです。
ここから、1つわかることがあるわけです。
「向き不向き」などカンケーない
ってことです。
いつも、お話することですが、
「やってみたい」と思えるものは
やるべきなのです。
「やってみたい」と思えることそのものが
センスある証拠だと考えて問題ないと思うのです。
本当にセンスあるかどうか、
向いてるかどうかはカンケーないのです。
向いてなくても仕事になるのだから。
言い換えたら向いてなくても
プロになるってことでしょう?
だから、向き不向きを持ち出している時点で
可能性を自ら損ねる解釈をしている可能性がある、
ということになります。
見える世界だけが全てで
見えない世界がないとは思いません。
逆に見えない世界がすべてだから
見える世界を無視していいとも思いません。
見える世界も、見えない世界も
同時に存在するのでしょう。
何が本当なのか?ということは知りませんし、
知らなくても良いのです。
そもそも、知りようがないのかもしれません。
さて。
運命という言葉があります。
これは「命(人生)は動く」からこそ
「運」命というわけです。
でも、立命という言葉もあるのです。
立命と言うのは命を「立てる」
つまり、自分で決めるってことです。
だったら、自分で決めませんか?
向いてる、向いてない、ではなく。
「やるか、やらない」か
「続けるか、続けない」かで動くと
ギターも人生も楽しくなると個人的には思います。