姿勢を正せば見た目も美しくなり、
張りのある美しい声も
自然に出る。

背を丸めていては見えるものも見えなくなり、
目の前の幸運も逃げる。

 

 

 

これは茶道の大家が

仰っていることらしいです。

 

 

要は、身体操作ということです。

 

 

いつも言ってるギター演奏の基本とも通じます。

 

 

 

よく、ロックの世界とかでは

フォームとか関係ない説というのが

謳われる。

 

 

どっかの原住民の演奏とかを持ち出して

その既成概念にとらわれない演奏や身体操作を見て、

フォームとかそういう教科書的なものは関係ない

という風に結論づける。

 

 

ひどい場合は

「それこそがロックだ、アートだ」

などという。

 

 

 

確かに、それはそれで

1つの正解ではあると思います。

 

 

音楽は音が勝負だから。

 

 

音で人間の色んな側面を表現しています。

 

 

人間って何も清浄な部分ばかりではないし、

醜いものも含めて表現するのがアートだ

というのも納得です。

 

 

 

しかし、だからといって

自然な身体の使い方を探求したり、

分析して、フォームや動かし方の法則的なものを

見つけることは意味がないわけではない。

 

 

したがって放棄するものでも、

捨て去って良いものでもないと思います。

 

 

 

いつもいうように、

ギターは身体を使って弾くものです。

 

 

だったらどう動かしたら自然なのか?

 

 

どう動かすと無理がないのか?

 

などという部分に共通点や法則性がないと

考えるほうがおかしいわけで。

 

 

 

大体、ロックというのは

精神の態度なはずであり、それを表現する。

 

 

何も身体の法則性を知ってやったら

ロックでなくなるなどというのは

すごく浅薄な感じがします。

 

 

 

大体、ロック云々言う前に

自分の演奏1つろくろく満足に弾けなければ

それはその人にとってストレスであり、

楽しくもないでしょう。

 

 

身体操作に氣を取られて

表現に氣を向ける余力ものこらない。

 

 

少なくとも全身全霊で表現するなど

出来るわけがないと思います。

 

 

 

それなら身体操作の技や法則性を理解するのは

僕は全然まともなアプローチだと思います。

 

 

冒頭のお茶の大家の言葉にもあるように…

 

 

姿勢を正せば見た目も美しくなり、
張りのある美しい声も
自然に出る。
 

 

つまり、きれいな形を創ることで

パフォーマンスが善くなるわけです。

 

 

 

背を丸めていては見えるものも見えなくなり、
目の前の幸運も逃げる。

 

 

形がゆがむと心の感度も下がる

ということだと思います。

 

 

実際、心の感度が下がると

アンテナを立てるべきところでたてられなかったり、

いい情報やチャンスに出会っても

スルーしてしまったりする。

 

 

 

身体操作というのは

何もギターを弾いているときにだけ

有効なものではありません。

 

 

非常に日常的なものです。

 

 

例えば、コップに水を一杯汲むのでも

身体操作です。

 

 

そういう面に着目していると

普段の生活がギターの演奏技術の練習に

なったりする。

 

 

そういう工夫が出来るわけです。

 

 

 

日常的に大事にしているものがモノを言う

 

ということがわかってくる。

 

 

これがわかってくるとたとえ、何らかの事情で

ギターを弾く時間が取れない日々が続いても

技術は後退しない、という経験をしたりします。

 

 

 

身体操作。

 

 

是非、着目してみてください。