うちの妻は洋裁の先生をしています。
普段は頼まれてよその洋裁教育事業の広報を
担当しています。
僕にとっては才能とは
彼女のような人のことだと思っていて。
彼女は大して勉強もしないけど
なぜか結果を出す。
奧田歴が長い人はご存知かもしれませんが
妻はかつて一緒に音楽をやっていた仲間です。
ギター以外は全部一通り出来るようになった人。
僕からすると超人の部類に入る。
才は枝葉なものだとは思うけど
ここまで才を見せつけられると
才というのも素晴らしいものだ
と思わさせられます。
そんな彼女が朝,面白いことを口走りました。
「洋裁ってスキルを学びたい
と思っている人なんかおらんやろ」
洋裁のスキルを教えているのに
面白いことをいうでしょう?
僕は内心、ギターと同じやな、と思いながらも
何を教えようとしているのか、聞いてみました。
するとこう答えた。
「精神性、心の扱い方」
ギターと同じ過ぎて笑いました。
便宜上、わかりやすいから上達というテーマで
話すことがほとんどですが、
実はギターも本当に楽しく続く人は
ギターの技術の習得を目的にしなくなります。
自分の精神状態が如実に
演奏に現れるコトを知るからです。
ちなみに、これはギター上手い人だけが
たどり着く境地ではありません。
腕前云々じゃないのです。
これがわかっている人は
ミスの仕方で自分の深層心理を
読み取ったりします。
成長の度合いで自分が普段意識しないけど
確実にある深層(真相)に気づきます。
ここに価値があるのです。
だから、終わりがない。
終わりがないから死ぬまで楽しめるようになる。
身体操作に関するビデオ講座をみたことが
ある場合はご存知かもしれませんが、
身体操作でも一番キモになるのは
身体「感覚」です。
この感覚は心が創るのです。
技術や上達というのはわかりやすいですが
それはあくまで入口です。
本当は精神性、心のコントロールが
楽器演奏をやる本当の価値だと思います。
精神が整った大人が増えたら、
社会が変わるでしょうね。
SNSで散見されるような
幼稚な議論も少なくなるでしょう。
人の揚げ足とって喜んでいるような
幼稚な人間は少なくなる。
そんな大人が増えたら先々の世代も
安泰であるのは
言うまでもないでしょう。
もろろん、入口とはいえ、
技術や上達を軽く見ているようなのは論外です。
入口とはいえ、それがないと
奥には進めないのですから。
要するに、楽器演奏1つとっても
ただの娯楽で終わらないものがある、
ということです。
そういうことを知っている人と
知らない人では違いが出るでしょう。
そういう可能性を知っておいてください。