ギターの上達なんて言うと
別に人生に影響を与えるほどのものではない
とだれもが思っているかもしれません。

でも、古来、一芸に秀でる者は多芸に通ず、
と言うように一つのことでも精進すると
他のことも達してくるものです。

それは僕自身の経験的にも言えることです。

生徒さんたちの経験を聞いてても
それは間違いない。

昔の人はすごい言葉を残しているなぁ、
と改めて感嘆します。

芸という文字を充てているのも
素晴らしく的を射ていると思うのです。

芸というのは
対象に手を加えてより善きものに変えること、
またはその技術、という意味です。

その対象は、全てを指すのです。

だから、書に向かえば書道になり
茶に向かえば茶道になり
弓に向かえば弓道になる

…と言ったように様々な物が対象になります。

これを芸術というわけです。

当然、音楽もその対象になるのは言うまでもありません。

一芸に秀でるものが多芸に通ずと言われるのは
表面的には様々な異なるジャンルの物事があるように見えて
内面に共通項があるからです。

例えば、数学が本当にデキる人は得てして
国語が得意です。

言葉の意味を正確に捉えることが出来るから
結果として国語と数学に長けてくる。

更に、言葉の取り扱いが上手だから
文章も書けるし、交渉も上手になるし
コミュニケーション全般において上手になる。

そういう人に限って営業職だったりして
成績が善い、なんていうのはよく見られることです。

これは一つのことを深めていって
どのジャンルにも共通する能力、コアな能力を
開発しているからです。

音楽も同じ。

ギター演奏も同じ。

ギター演奏も
最初は自分の好きな曲が弾けるようになる
だけだったりするものが、

人に聞かせても大丈夫なものになり、

初見や即興で演奏できる、といったように
進化していきます。

そうやってどんどんレベルが高くなっていくと
演奏における感覚が育ってくる。

何も考えなくても高品質なものが
表現できる。

次第に、人と気持ちよく合わせることが
演奏技術よりも重要だと気づき始めて
どう弾いてあげたら相手は気持ちいいか、
というような段階に達したりする。

こうなると相手のことを思いやる心が育っていることになるし、
それを表現しようとして観察眼が養われたりします。

一緒に演奏している人の身振り手振り、
目の動きなんかまで観察して
瞬時に相手が求めているものを読み取るといった
能力が磨かれたりする。

そういう人がなにかの交渉をすると
言葉を超えた何かを掴むことが多いから
交渉がうまくいったりすることもある。

実際に、ギターレッスンの生徒さんでも
そこに気づかれた方が何人もおられました。

これが一芸に秀でるものは多芸に通ず、
ということでしょう。

そこまで到達するともはやその人は
過去のその人とは違ったものになっている。

ここにポイントがあると思っています。

一芸が多芸に通ずる分岐点はここだ
と思うのです。

感覚が違う。

意識が違う。

そういう内面、精神やものの見方が以前とは
違ったものになっている。

それは言い換えたら
生き物としての変化です。

表面的には人間の格好をしているけど
中身はまるで違う存在になっている。

ここまでいくと一芸は多芸に通じます。

ここまでやればはじめは
軽い気持ちで始めた趣味も
やる価値が出てきますよね。

ギターもここまでやってみると
人生に大きな意味を持ってくると
実感しています。