ギター教えていると
人間というのは実にバリエーションがある存在だ
と改めて思わさせられます。
ある人は
「ギターなんて今更やっても遅いですが…」
などと口にするし
ある人は「このまま人生終わるのは嫌だから
今からやりたいことをやっておきたいんです」
などと口にする。
めったにおりませんが…
「まだまだ人生はこれからだから
ギターにリトライすることにした」
とおっしゃる方もおられます。
前者はどちらかと言うと消極的で
後者は積極的。
現実は前者が多いですね。
特に40代オーバーの方はそんな印象がある。
後者は前向きだし、建設的なので
特に論じる必要は無いのですが…
前者のような一見、消極的に見える方でも
心の中には
「情熱的なものが芽吹いている」と
感じることが多い。
口で言ってることと心の中は違うし、
ご自身でも心の中にあるものは
気づかないケースが多い。
でも、古来、人は「肺肝を見るが如し」というほど
他人からみるとわかりやすい。
実際、口では消極的なことをいいながら
ちゃっかり体験レッスンとかに来ているのだから
ギターひとつでも弾けるようになりたいという
思いがあるのです。
だったら、「弾けるようになるのだろうか…」
「自分はどうなんだろう…」などと
考えるのではなく、とにかくやってみる。
やればわかるさ、進めばわかるの精神で
弾いてみたら良い、といつも言っています。
そうやって進んだ人はわかるんですよね。
「あぁ、なるほど、
本当にセンスの問題じゃないんだね」
と。
そして、過去に
時間がない、お金がない、環境が整っていない…
等と言って断念したのが馬鹿らしくなってくる。
こうなったらギター再開した意義も
見出したことになります。
蒙が啓ける…つまり、啓蒙という言葉がありますが
それはこういうことだと思います。
AをBだと勘違いしているものが
AをAだと捉えられるようになる。
実は弾けるようになるとかならないといった
結果よりもその前に起こる啓蒙の方が
価値があるものです。
なぜなら、蒙が啓けたからこそ
上達が確実になるからです。
蒙が啓けるとギター継続も自然と出来るし
継続しているのだから必ず上達が訪れるのです。
そして、上達したら
次々とやりたいことが拡大していきます。
人と合わせてみたい…
誰かに演奏を聞いてほしい…
そんな風に思うもの。
そんな時に限って
部下の結婚式で弾いてほしい、とか
イベントのお誘いが来たりする…
なんてことが不思議と起こるのが
現実の妙味あるところです。
こうやって人生が充実していくからこそ
古来、人は内なる世界に別天地を持つ、
というのが尊ばれたのだと思えてなりません。
「別天地」というと難しいですが
趣味は別天地の一つの顕れです。
だから、ギターも文化として
人は代々継承してきたんだと思います。
ギターをやりたいと思っている時点で
あなたの内には
「表現しなければならないこと」があるのです。
そういう理解をしておくと
ギターも違った趣が見えてくるのでは
ないでしょうか。
そもそも、楽しいことなんだから
楽しく弾けば良いのです。
楽しいと思えることをやりましょう。
基礎が必要だからと言って、
システムチックに合理的に行くのではなく
純粋に「弾いてて楽しい」と思えるものを
弾きましょう。