70勝0敗
人間は不完全な生き物のはずです。
なのに、こんな完璧極まりない、人間業とは思えない偉業を成し遂げた人物がいます。
それがこの方
剣豪、宮本武蔵。
そんな武蔵に挑戦した人の話し。
彼は考えました。
「武蔵め、一対一では無敗、ならば、一体他なら?どうなるかな?( ̄ー ̄)ニヤリ」
首謀者は京都剣術の名門、吉岡道場の後継者。
12歳の少年でした。
ところがその少年の周囲には門下生が大勢、潜んでいたのです。
いざ、対決の時。
武蔵は現れません。
「おかしいな、怖気づいたか?」
そう思うやいなや少年の前に黒い影が落ち、少年は一刀のもと即死。
実は武蔵、彼らよりも前に決闘場についており、木の上に登って眺めていたというのです。
だから吉岡一門のやり口は全部丸見え。
少年が斬り殺されたのを見て門下生が集まってきました。
武蔵は駆け出し田んぼのあぜ道を走り出したそうです。
ところがこれも罠。
田んぼのあぜ道は人が1人しか通れないほどの道幅なだけに、そこに入ったが最後、全員武蔵の刀の餌食に鳴ってしまった、という話し。
これは武蔵の戦略的頭脳が光る話しですが、この話が意味することは他にもあります。
高い木の上にいれば相手の出方、動きなど手に取るように分かる、というのは何も剣豪だけに通じる話では無いのです。
ギターでも同じ。
要は視座が高い人はうまくなるのも速い、ということを表しているのです。
コーチ経験上、これは本当です。
視座の低い人ほど、「基礎練習」などと銘打たれた具体的なフレーズを弾くことを好みます。
視座が高い人ほど、「音楽表現」という一見わかりにくいものに取り組んでたりします。
結果、全体では少数派である視座が高い人は大した苦労なく音楽を楽しむようになるわけです。
それを多数派の視座が低い人は「センス」と呼んで理解した気になりがちですが、実はセンスではなく視座なのです。
じゃあ、視座が低い人はどうしたら良いか?
ココが重要ですよね。
視座が高い人もかつては視座が低い時期があったりするのです。
でも、どこかで差がうまれます。
じゃあ、何処で差がつくのか?
これは簡単。
視座が高い人のやっていることをマネたら良いのです。
教えてもらうのもココに含みます。
要は自分の視座の低さを素直に認めるだけ。
そうしたら勝手に視座が高い人の言うことが心の中に入ってきます。
「だまされてなるものか」「どーせ〇〇だろ」などと、もっともらしい理屈をこねくり回し、頑なに視座の低い自分を守っている人は長い目で見たら一番損をするのです。
まぁ、自ら望んでそうなっていることも視座の高い人はわかっていますので全く相手をしません。
結果、視座の低い自分をいつまでも守る傲慢な人は時を経ても変わることがありません。
実際、僕が見てきた経験上は10年レベルで変わらない人は変わりません。
さて。
もし、自分の視座の高さに自信がない場合、選択肢は2つであることが分かるでしょう。
1つは自分の視座を高める努力をする。
1つは視座の低い(かもしれない)自分を守る。
仮に、あなたが自分の視座に自信が無いとしたときにあなたならどちらを選ぶでしょうか?