いつも言っていることですが
今はホントいろんな人の考えや意見に
触れられる時代ですよね。
情報過多なんて言われて久しい。
そうやって膨大な情報に
アクセス出来るようになればなるほど、
自分というものに関心を寄せる必要があると
思えてなりません。
例えば、昔からある話に
音楽理論は必要か否か
みたいなのがあります。
不要と言う人もいれば
勉強しないのは怠惰だ
なんて言う人もいる。
で、そういう矛盾した考えに対して
「どっちやねん」と叫ぶ人がいたりする。
こういう構図は昔からあるのですが…
結論、どっちでも良いし
こんなの、その人の段階による
と思えてならないのです。
例えば、音楽理論はあればあるで
役に立つことがある。
でも、理論の理解に振り回されることも
あるわけです。
これはその人がどの段階、タイミングで
音楽理論に触れ合うか、というので
変わるものです。
ということは、音楽理論に限らず、
いつも今の自分に必要なのかどうか?
という視点でことに取り組んだら
なんの問題もないと思うのです。
最初から音楽の構造を理解しているほうが
頭の中がスッキリしてやりやすいと思うなら
勉強したら良いし、
難しいと感じるなら
「今はタイミングじゃないんだな」
ということでちょっと脇に置けば良い。
理解は出来たが、
使えないなら脇に置けば良いし、
感覚的に音楽やって限界感じるなら
理論の勉強で活路が開けるかも知れない。
音楽理論に興味をもったなら触れてみることで
自分がどう感じるかを観察していれば
自ずとそのまま学び続けるか、否かの決断は
簡単になる。
要するに…
今の自分が何を感じて、
何を考えてて
何を目指していて
今どれくらいのことが出来るのか?
という「自分に対する関心」を
ベースにしていれば、こういう問題に
振り回されることはないのではないか、
と思えてなりません。
私淑している先生がご著書の中で、
まずは自得から
というようなことを仰っているのですが
まさに、自得。
自分を知ることが何を楽しむうえでも重要だと
改めて思います。