先日、淡路島にいってきました。
去年、我が家の娘達が気に入ったらしく再度行くことに。
最初に淡路島の一の宮に参ってから行こうということになり、最初の神社につきました。
すると、たまたま湯立神楽神事という神社のイベントのようなものをやるというではありませんか。
「へー、今日、こんなんやるんやな」とか話しつつひとしきりお参りし終わるタイミングがちょうど湯立神楽がスタートするタイミング。
で、急にゲリラ豪雨。
「マジか、この降り方やばくないか?」とか「まぁ、そのうち止むやろ」とか言ってたんですが、その神社の境内が水はけ悪いのかして周りがどんどん深めな水たまりに、、、、
終いには関係者の方もびしょ濡れで足元もくるぶしくらいまで水に浸かるレベルの振りっぷり。
僕たちは神社の門のあたりまで避難し、雨の被害は免れていたのですが、大変なのは娘です。
「プールとか海が中止にならないのか」とか「宿に泊まれるのか?」とか「ここから帰れるのか?」とか騒ぎ出します。
雷とかも近くで落ちてるのかして轟音で響くので、心配になったんでしょう。
「大丈夫や大丈夫」とか言ってたら妻が「これは神事を見ていけってことやな」と言いだしました。
「ほんまやな」とか言いながら神事をみていました。
結局、神官が祝詞を唱え終わると雨が落ち着いてきました。
「このタイミングでいかないといけないかもな」ということでその場を立ち去ったのですが、車に乗り込んでしばらくしたらさっきとは打って変わっての大晴天。
「やっぱりな」と思いながらも娘の顔を見たら安心そうな顔してたので良かったとおもっていたのですが、僕はその後娘のプールと海に2時間以上つきあわされ、ヘトヘトになってしまいました。
こんなわかりやすい展開になることはなかなかありませんが、僕は夫婦で「これは神事を見ていけってことや」という風に同意できたのが嬉しかったです。
この解釈が2人でできたから旅行は慌てずに楽しく執り行えたのです。
こういう時にどちらかが「最悪やー」とか「ないわー」とか言ってたら旅行はよろしくない思い出に変わっていたかもしれません。
このように、状況を災難と捉えるか、思わぬ珍しいものが見れた幸運と捉えるかで感じる楽しさは変わるものです。
ギターも同じなのです。
うまくいかない状況を、「これを潰したら一つ楽しいことが増える」と捉えるか「いつになったら弾けるようになるんだろう」と捉えるかで結果が変わります。
前者を積み重ねる人は必ず何らかの思わぬ良い結果を経験出来るし、後者を積み重ねる人はどこかで挫折を経験するはずです。
すべての事は自分にとって良いことだと捉えるか、
人生には予期しないタイミングで自分の邪魔をすることばかりだ、と捉えるか。
あなたはどちらでしょうか。
追記
ちなみに、次の日、珍しく早く目が覚めたので大浴場に行くと露天から朝日が上がってくるところでした。
地平線から朝日が上る光景など、奈良では絶対に見れない光景です。
それを温泉入りながら見れるわけですから、なんとも贅沢な一時を過ごせました。