「最後に残るのは腕であり、
腕だけは人に盗まれない」
これは華道の大家、池坊に
伝わる教えだそうです。
これ、僕らも同じだと思いませんか?
僕は全く同じだと思います。
ギター演奏が趣味であろうがプロであろうが
関係なく、最終的に楽器演奏、音楽は腕です。
それは演奏の腕はもちろん含まれる。
演奏者や関係者、聞いてくれる相手の心を
読み取るのも腕だと思います。
人の音を聞いて相手の感覚を洞察する。
これも腕なのです。
最後に残るのはこの意味での「腕」であり
確かにこれは人に盗まれません。
よく、自分の出音が不満だと
機材に走る人がいます。
もちろん、機材も重要なのには
間違いありません。
如何に名手でもテレキャスでレスポールの音は
出せないと思うからです。
その意味で僕は機材にかなり淡白なので、
見習わなければならないとよく思う。
でも、せっかくの機材も腕がないために
全く活かされてない
というケースも見てきました。
もし、自分がこのケースに陥ったら、、、
と思うと自分はものすごく恥ずかしくて
耐えられないのです。
そういうのもあって機材には
かなり淡白になってしまったんだと思います。
なんせ、結果、最終モノをいうのは
広義の腕であるという結論にいたっています。
すべてはこの意味での腕にあると言えます。
もし、あなたが僕の考え、感覚に
共鳴してくれるなら実際、
ご自身の腕を高め、磨くことに
フォーカス出来ているか
チェックしてみてください。
これだけでも行動は変わるので、
練習の質も変わって、演奏できる身体が
身につくと思います。