ギター上達は
つくづく精神性が必要だと感じます。

うまくやれない自分を受け入れる
柔軟さが必要です。

言い換えたら、完璧主義を辞めないと
いけないということです。

「最初から何でも弾けるわけではない」という
このあたり前の事実を受け入れる
精神的柔軟さが必要なのです。

弾けないものがあるからこそ
練習しているのに
なぜか、最初から
「弾けるようになろうとする」人は
多いのです。

石にかじりついてでも1曲弾き通すまで
他の曲はやらない…

などと謎なことを考える。

本人の中では非常に
合理的に考えているつもりなのですが
他人の僕からするとツッコミどころ
満載なのです。

もちろん、生徒さんでない人が
何を考えてようが
僕に意見する権利はありませんから
何もいいません。

でも、相手が生徒さんなら
その考えの非合理さに気付いてもらおうと
色々工夫を凝らします。

石にかじりついてでも
1曲弾けるようになるまで
他の曲はやらない

これは一見合理性が高そうに見えるでしょう。

でも、無理があります。

というのも、成長段階というのがあるから。

足し算引き算を習うはずの小学生に
いきなり代数や幾何を教えても
理解できないでしょう。

あいうえおを習う小学生に
いきなり哲学用語を教えるようなもの。

これは無理があるから誰も
こういうことはやらないでしょう?

なのにギターではこういうことを平気でやる。

それで上達実感がなくて面白くなくなるのは
当然の結果というしかありません。

ギターだけに限らないけど
進歩というのは実は複雑です。

一旦出来るようになったら
それ以降は練習する必要がなくなる…

なんて単純なものではないのです。

出来たと思っているスキルに
後になってほころびを感じるもの。

ほころびを感じたときにそれを補修して
また先に進む。

ほころびを感じるのは
自分が成長しているからです。

以前はほころびの存在にしか
気づけない状態だったのです。

だから、「あれ?これは弾けるはずなのに
なんか弾けていなように感じるぞ?」
というのは実は大きな進歩です。

そういうときに再度やり直すと
ものすごくレベルが上っている。

ギターに限らずそういうものです。

でも、ここで進歩とは単純で
一方向にしか進まない。

後戻りも原点回帰もなく
直線的に善くなっていくのだ、

という考えを信じている人は
1つのことがきちんと出来るまで
完璧にやろうとする。

こうなるとかなり高確率で
進歩は感じられなくなります。

そして、練習が苦行になる。

趣味なのに楽しめない。

もう、義務感と苦行に変わっているから
当然です。

そのなれの果ては?

挫折でしょう?

そういう単純に進歩するという考え方や
だからこそ、何でもかんでもきちんと完璧に
やろうとすることは弊害しかないのです。

この心の柔軟性を養ってくれる人が
増えたら嬉しいなぁ、と思います。

自分に優しくしていいのですよ。

あなたはどうでしょうか。

優しく自分を扱っているでしょうか。

追記

単純に進歩するのではなく
物事というのは螺旋的に進歩する。

この考え方はここから来ています。

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まぁ、19世紀の話を待つまでもなく
同じようなことが2500年前の
論語に書かれてましたけどね 笑