この文章を読んでくれているということは
あなたはタイトルの言葉に興味を
持ってくれたんでしょう。

タイトルの言葉はまさに
僕達、人間が人生に何度か経験することですよね。

つまり、僕達は

大事な事を見誤りやすい生き物である、

ということです。

実はギターでもこれがよく起こる。

大事な事を見誤った実話があるので
今日はその話を紹介させてください。

もう、25年も前の話。

僕は音楽学校に入学した。

大学を卒業して就職もせず
音楽学校にいかせてほしいなどと
家族に言ったら大反対。

それでも反対を押し切り
音楽を職業にするため学校にいった。

最初は

「みんなに啖呵切ったもののついていけるだろうか…」

という気持ちではじまった学校生活でしたが…

開始早々、思わぬ評価をされました。

それまでにバンドでライブ経験が多かった僕は
ステージパフォーマンスに
慣れていたんでしょう。

すぐに学校の先生に目をつけられました。

「君、かなり弾けるから
早速、売り込んで行こうね。

デモテープとか作ろうね」

学校のエライさんにそう言われて戸惑ったものの
プロの道が拓けそうな期待と
そんな簡単に物事が進むことへの不安が
入り交じるような日々を送っていました。

でも、どこか自分のやってきたことが
報われたような気がしていました。

周りからも「どうやって弾いてるの?」とか
聞かれることもあって気分良く過ごしていた
そんなある日。

僕は地獄を見たのです。

それはある先生の授業。

一人ずつ先生の前で弾かされる。

眼の前には眼光の鋭い先生が座ってじっと
演奏者を睨みつけている…

演奏すると

「次」

と先生がいう。

その間、数十秒。

つまり、数十秒弾いて生徒が入れ替わる。

「次」「次」「次」「次」…

次第に僕の順番がやってくる。

「なんだかおっかないな…」と思ったけど
学校のエライさんに評価をしてもらったこともあり
「なーに、俺は他のやつと違う」などと
偉そうな事を自分に言い聞かして先生の前で弾いた。

そしたら僕のときだけ「次」って言わなかった。

先生はなんと言ったか?

「お前…全然弾けてへんな」

って言ったのです。

どう処理して良いのかわからない感情が溢れてきた。

どうして良いかわからずに呆然としていると…

「はよ、はけんかい」

と言われてとっさに我にかえって
その場を後にしました。

鼻っ柱がおられた瞬間でした。

それまでの自分が恥ずかしかった。

ちょっと学校のエライさんに
評価もらっただけで
のぼせ上がっていた自分を反省しました。

もちろん、素直に反省できたわけではありません。

先生に対する反抗心とか、
恥かかされた怒りとか
自分のエゴが騒ぎまくりました。

でも、最終的にはこの経験で
僕は大事なものを悟ることが出来た。

それはギター上達の秘密です。

楽器演奏とはリズムの出来にかかっている

という悟り。

これはこの先生が教えてくれた。

先にも書いたように
ものすごく痛い経験からスタートしたんだけど
先生が教えてくれたリズムに対するアプローチが
その後の僕のギター演奏と
現在やっているギターコーチの基本になっています。

僕達はなかなか大事なことに気づけません。

大事なことに気づこうと思ったら
僕みたいに痛い目遭わないといけないこともある。

でも、痛い目に遭おうが、遭わなかろうが
大事なことに気づくチャンスはやってくる。

そういうときに大事なことに
気付ける自分でいたいですね。

僕は先生が僕にしてくれたように
仮に痛い目にあったとしても
その人を諦めずに、
その人がちゃんと大きな悟りに気付けるように
責任もって生徒さんのそばにいたいと思います。

長いことギターも弾いてたら痛い目の一つや二つ、
遭うかも知れませんが
それでも最終的に大事なことに気づいたら
それまでの「痛い目」等、帳消しになります。

むしろ、痛い目にあったほうが
確実に大事なことには気づけるし、
それに気づくプロセスはとても美しい物語となる。

そうなるのだから諦めずに
楽しくギター弾いてまいりましょう。