人相という言葉があります。
人の顔や色んな所に出るサインを
読み取る人のことを人相見というのですが、
これは恐ろしいことです。
ついつい
「人相なんてそんな当てにならないものなど
存在しない。迷信だ」
と言いたくなってしまうかもしれませんが、
これを真剣にかつては信じている人が
たくさんいたわけです。
それを信じている人は何を見ていたのか?
ということを考えると
恐ろしいことが見えてくる。
それはすべからく、
その人間の内面が顔や色んな所に
サインとして表れている、
ということを表しています。
たとえば、なにか嫌なことがあって
失意を感じているなら
そういうのが顔や色んな所に出ている、
ということです。
「背中がさみしい」等と言いますが、
あれも一種の人相見でしょう。
実はギターも同じで。
ずっと関わっていると、
演奏からその人の内面を
感じられるようです。
僕はこの感覚を指導で利用します。
大抵当たるようです。
生徒さんによく
「なんで分かるんですか?」と言われるので
それなりに当たっているのでしょう。
リズムでも
口ではものすごくわかっているふうなことを
言っている人でもいざ、演奏になると
テンポやリズムがブレブレで
とてもじゃないけどリズムを知ってるとは
思えないと感じることがある。
リズムの場合は感覚的なものだし
演奏している側からすると
演奏しながら自分がどうなっているか認識するのは
むずかしいもの。
だからこそ余計に
「その人」が演奏に出るんだと実感します。
生徒さんがそういう感じになっていたら
生徒さんの常識を塗り替えるとき。
そういうときこそ
コーチとしての本領が発揮されるときなので、
慎重にことに当たるスイッチが入る感じが
します。
こんな感じで演奏にもその人の内面が顕れると
思っています。
これは隠しても隠しおおせない。
幸いにして
誰にでも内面を感じられるわけではないようなので、そ
こがせめても救いのようですが、
結局見る人が見たらバレてしまう。
みんな人格者でよろしくないものを見ても
黙っていてくれるならいいのですが、
そうでないのは明らかでしょう。
謙虚という言葉がありますが
こういうときにその素晴らしさがわかると
思います。
特にリズムに関して、
わかっているという感覚は危ないと思います。
恥をかく程度で終わればいいですが
音楽やっているとそういうので人と揉める人もいるので
そうならないためにも謙虚にやっていきたいものです。
謙虚でいるほうが人間の内容も出来てくると
思うので、その方が結局、得だと思います。
謙虚に、淡白に淡々とやってまいりましょう。
追記
ちなみに謙虚にやっていたら得をするというのは
古来言われていることです。
徳は得なり
謙虚という徳をすでに持っている人間は
その徳を発揮することで得をする
という風に読んでいいと思います。