天才とは努力する能力のある人である

 

 

打撃の神様、川上哲治さんの言葉だと

知りました。

 

 

 

人から聞いて初めて気づきましたが

僕の文章は野球選手の引用が多いらしいです。

 

 

でも、野球は普段見ないし、やりもしません。

 

 

なのに、球界の人の言葉には

響くところがあるのです。

 

 

不思議なものです。

 

 

多分、ギターとかと同じなんでしょうね、

深いところでは。

 

 

 

先の打撃の神様の言葉もそうですが、

ギターでも結局は努力なんですよね。

 

 

如何に音楽のセンスがあろうが、

手先が器用であろうが、

努力なきものは楽しめないのが音楽です。

 

 

仮に演奏は上達しても

音楽が楽しめないという方もいますからね。

 

 

そういう人は大抵、努力の中身が

ちょっと偏っていることが多いように感じます。

 

 

 

僕のいう「努力」が

川上さんのいう「努力」と同じかどうかは

わからないのですが…

 

 

ギターを上達させる

 

音楽を楽しむ

 

 

こういうことを実現させようとするなら

技術習得だけに偏った練習では

ダメだと思います。

 

 

その技術習得を通して

人格を磨けないとちょっと難しいと考えます。

 

 

 

特に「音楽を楽しむ」というのは

技術の世界の話ではなく、心の使い方によって

もたらされるものだから、人格的な要素が

関係してくるのです。

 

 

 

人格と言っても難しい話ではありません。

 

 

 

例を示すと…

 

 

ギター練習してても毎回毎回

 

「あー、今日もうまくなったわー」

 

という実感を心の底から感じられることは

あまりないのではないでしょうか。

 

 

 

よくあるのはむしろ逆ですよね。

 

 

「あー、弾いた弾いた(とりあえず弾いた)」

 

という感じになることが多いのでは

ないでしょうか。

 

 

言外にあるのは

「まぁ、うまくなってる実感はないけどね」

というのがリアルではないでしょうか。

 

 

 

でも、これって

 

「あー、弾いた弾いた、楽しかった」

 

と解釈することも出来るし

 

「あー、弾いた弾いた、0.1mm上達したぜ」

 

と解釈することも出来ます。

 

 

わざわざ「うまくなってない」などと

いうところにフォーカスして

それを感じるメリットなどないのに

これをやる人は多いわけです。

 

 

 

これは一例ですが、

こういう根暗な自分というのは

誰の中にもあるんです。

 

 

そういう自分と向き合って

「根暗OK、上等」

と受け入れることがポイントなのです。

 

 

それをギター演奏を通して、

ギター練習を通して

やっている…

 

 

つまり、人格磨きをしているのが

実は真相だと思います。

 

 

 

こういうことを事前に知っていると

ギターは継続しやすいと思います。

 

 

努力する能力のある人に

自然となっていく。

 

これが人格磨きした結果だと

思います。?

 

 

 

ギターがうまくならない。

 

 

どうやったらうまくなるのか、と

もがく代わりに、ちょっと落ち着いて

ギター弾いている時に湧き起こるものと

向き合ってみてください。

 

 

意外とこういうアイデアは

あなたの練習を実らせてくれるものです。