修行と聞くとどんなイメージがありますか?
僕はあまりいいイメージを
持っていませんでした。
「修行」というと僧侶が滝に打たれる、、、とか、
やりたくもないことを我慢してやる、、、
みたいなイメージ。
実際、意味的にも仏教用語です。
求道的な意味です。
だから、様々な人間の欲から離れる行為を採る。
別にそんなことせんでも、、、、
と思っていました。
でも、ふと気づきました。
別に何かきっかけがあったわけでもなく、
突然、閃いた。
「修行」という言葉、、、
本当は辞書的な意味と違うイメージの言葉
だったんじゃないかと、、、
この解釈はギター練習だけじゃなく、
仕事や日常生活でも活かせるので
紹介させてください。
修行とは文字をちゃんと読むと、、、
行いを修める
とあるわけです。
で、「修める」というこのワードが厄介です。
なんか、わかったような
わからないようなワードではないでしょうか。
これ、辞書的な意味は「整った状態にする」
という意味です。
では、行いを整えるとはどういうことか?
ということになるわけですがこれは
「コントロールする」と解釈すると
わかり良い感じがするのです。
実際、「修」を使った他の言葉を見ても
「コントロールする」という意味で
あったとしても問題がない。
例えば、、、、
修身:言動や振る舞い(身)を
コントロールして立派な内面を作る
修養:良いものを自らに与え(養)
心や身体をコントロールする
という感じで意味がバッティングしないのです。
で、修行というのは行いを整え
コントロールすることなわけですから、
ギターにおいても応用できる言葉です。
ちなみに、ギターのような技芸に使う場合は
修行ではなく修業らしいのですが、
結局、「業」は「難しいこと」という本義が
あるそうです。
難しいことをやろうとしたら自分の行いを
コントロールしないとできないのだから
結局、同じこと。
修行するから修業になるわけです。
でも、結局は行動のコントロール。
行動をコントロールする(修行)
結果、望む状態になる(修業)
ギターだけでなくほかのことでも
結局そうでしょう?
技術や学問は修めるという言葉を使いますが、
このプロセスだと無理がないと思います。
結局は、
行動を如何にしてコントロールするか?
ここにフォーカスすると練習は変わるのではないか、
ということです。
※僕は実際、変わると思っています。
参考になれば。