黒船が浦賀にやってきた時。
日本人の数名が船内に招待された、という話があります。
他の国の人は「西洋の技術はやばい、これでは勝てない」ということで戦意喪失していたというからそれを狙って船内に招待されたのかもしません。
結果、戦意消失して植民地と化したのだから。
ところが、日本では同じ事は起こらなかったそうです。
日本人は船内の様子を詳細にスケッチしまくる。
メモしまくる。
取材しまくりだったそうです。
アメリカからしたらこの行為はどうでしょうか?
「コエー、コイツラ、ナニ、カンガエテルゥ?」とおもったのではないでしょうか?
しかも、忍者も活躍したといいます。
黒船に潜入し品物や文書を手に入れていたらしいです。
ここに僕らのスピリットを感じませんか?
ピンチが来ても、「かかってコイヤー!」ってことじゃないですか。
ギターも一緒です。
ちょっとうまくいかないくらいで「センスがない」「時間がない」「手先不器用」「ちゃんと教えてくれる人おらん」「音出したら周りの人に、、、、」
、、、、、、って、先の話を読んで、さらに、こうやって文字で書かれると情けなくなりませんか?
出来ない理由を並べ立てる人間はみっともないです。
自分もそうだったから過去の自分に物言えるなら、「おぃ!何やっとんじゃ!」って言うと思います。
「趣味だから、、、」とかいって冷めたこと言っても同じ。
出来ない理由を並べるならいかなる言い分があってもそれは詭弁にしかならないのではないでしょうか。
結局、趣味すらできません、と言っていることには変わりないのだから。
趣味すらろくろく出来ない人が仕事で大成するとか、人生楽しく全うできるとか、それはかなり非現実的なんじゃないかと思います。
楽しいと思えることすらできないのですからね。
僕達は元々DNAレベルで優れている、というのが分かるのが冒頭の話です。
時間がない、でも、弾けるようになりたいなら、、、、弾きましょう。
センスがない、でも、弾けるようになりたいなら、、、弾きましょう。
手先が不器用で、教えてくれる人がいなくて、騒音問題になりそう、、、、でも、弾けるようになりたいなら、、、、弾きましょう。
やったら出来ます。
それがギターだと思います。