実は演奏の上達はその言葉に
すでにあらわれている、といったら
あなたはどう思われるでしょうか。
つまり、「演」「奏」という
漢字の中に上達の秘密がすでに隠れておる、
ということです。
「まさか」と感じるでしょうか。
でも、その「まさか」は
本当だと思うのです。
そもそも僕たちが今、演奏と読んでいる行為に
「演」「奏」という漢字を充てたのは
僕たちの祖先であるはずです。
もしくは中国から「演奏」という概念が
入ってきたと考えても
それが日本人的に的を射ていないとなれば…
歴史の何処かで
漢字の改変が起こっていてもおかしくないのではないか?
と思うのです。
演奏のことを「演」「奏」としていて
問題ないから今にまで伝わっていると
考えていいとおもいます。
ということは、この「演」「奏」に
演奏の本質が隠れていると考えるのは
自然では無いでしょうか。
そして、演奏の本質を捕まえることが出来たら
上達法もおのずから明らかになるものです。
では、「演奏」という文字には
どんな意味があるのか?
「演」というのは水が流れる様。
延々と流れるさまを表す言葉です。
イメージとしては「延びる」
「奏」はこの一文字で音楽をする、
という意味がある。
そして、「差し出す、差し上げる」という
意味もある。
よく、時代劇とかで天皇や王に
意見を述べる時に「そうじる」というのですが
これが「奏」。
つまり、そもそも演奏というのは
人に差し出すものであり
水が延々と流れるようなものである
ということを言っているわけです。
ここからわかることは…
まず、
「聞き手ファーストになっていたら良い」
ということですよね。
楽譜に対して正確に弾くということではなく
聞き手にどの様に伝わっているか?
という部分が重要である、ということです。
これだけでも
かなりのヒントだと思いませんか?
楽譜に対して忠実ではなく
耳に対して忠実であれ
ということです。
では、次に「演」ですが…
これは話が長くなるので
機会を改めようと思います。