最近、レッスンをやっていて
若者の可能性ってすごいな、と
よく感じます。

特に10代は
なにかほとばしるエネルギーのようなものを
感じます。

もちろん、体力的なもので違いが出ている部分は
感じますし、それは年齢重ねるごとに
どうしても衰えてくるのは
仕方ない部分がありますよね。

でも、若者に感じるものはそれだけではない。

物事に対する本質を捉えている方が多い
と感じるのです。

それはギターだからこそなのかもしれませんが…

何故か、教えたらすぐに
出来るようになる子が多い。

この話をすると「もともとセンスがある」とか
「いやいや、それは教える内容を調整しているからだ」
などと言われます。

そういう部分はあるかもしれませんが
そんなことよりもっと奥深きものが
あるのです。

先日レッスンしたNさんもそうで。

彼女は中3なんだけど、
エレキが弾きたいと言っているので
弾いてもらった。

するとすぐに弾きたいフレーズが
弾けるようになっている。

もちろん、完成度が高いとは言えないし
身につける技術もあるのはわかる。

でも、僕が注目しているのは
その技術の習得プロセスです。

同じ「弾けるようになる」でも色々ありまして、
彼女は大事なことを掴んでいたのです。

特に僕はそういうことを
教えたわけでは無いのですが…

だから、一つ仮説を提示したら、
やっぱり当たっていた。

どんな仮説かと言うと…

「音、めっちゃ聞いてるでしょ?」

という仮説。

聞いたら即座に
「うん、それはめっちゃ聞いてる」と
答えました。

「何を当たり前のことを聞いてるんだろう?」
といわんがばかりの顔してました。

昔からそうなのですが
上手い人って例外なくみんな
音を基準に考えています。

人の音もよく聞いているし
故に自分の音もよく聞いている。

よく聞くから違いがわかる。

エフェクターとか機材に走ることもあるけど
音をよく聞く人は機材でなんとかならないことも
すぐに悟ります。

そういうものだと経験上思います。

そう考えると改めて昔の人はえらいと思う。

それをちゃんと言葉に表している。

musicという言葉の訳語として
音楽と言ったわけですから。

音楽という言葉自体は
渡来してきたもののようですが、
古い文献等を見ていると
ちゃんと記述がある。

古文献の解釈は色々あって
どれが正解とかは無いのですが、
音の調和を追求する学問が音楽だと
僕は思います。

なぜ、こうなるかは話すと長くなるので
割愛しますが、こういう解釈を持っている人は
あまりいないかもしれません。

ただ、楽という漢字に「調和」という
哲学的意味があるのは間違いないし
西洋のmusicというのも色々探っていくと
やっぱり調和というのが根底にあるんですよね。

その調和というのを僕らの先人は
掴んでいる。

だからこそmusicの訳語に
音楽を充てることが出来たのだと思うのです。

さて。

ここまでの話からもわかるように
「調和」が音楽のキーワードになるわけですが
調和させようとおもったら何が必要でしょうか?

まずは音をよく聞かないといけない
というのは当たり前の話だと思いませんか。

実際、楽譜に演奏のすべてを
書き起こすことはありません。

音をよく聞いて楽譜の内容を勝手に変える
ということはあるから
やっぱり音を聞いていることは
ギター弾くうえでも何にも増して
影響度の高い資質になります。

もちろん、先の若者で
こういう裏付けを持っているものは少ないけど、
結局本質を実践できているのだから
それは尊敬に値すると思うのです。

逆に裏付け持っていても出来なければ
そんな裏付けに意味はありません。

そして、本質というのは結局は
哲学だとか言葉の由来とかこねくり回さずとも
すごく素直に、自然体で関わると
容易に見えてくるものだとも思います。

うちのレッスンの若手の皆は
年寄りの経験故にこんがらがった
頭を解きほぐしてくれるようです。

彼らのシンプルで素直で自然な感覚に触れて
改めて見習わないといけないと思わされました。