昨日、恥の話を書きました。
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恥というのは多くの人は忌み嫌うものですが
実は恥というのはよーく考えると
素晴らしいものなのです。
一例を出しましょう。
先の記事で紹介した宅配便ユーザーさんを
例に出すと…
ストーンズは下手だとかKISSは簡単だとか
若いころ周りでそういう奴がいて、
私もそうなんだーと思っていました。今思うと恥ずかしい。
こうおっしゃっていますが
これが言えるということは何を意味すると
思いますか?
ストーンズは下手だとかKISSは簡単だ、
と思っていたことが
恥ずかしいということでしょう?
ということはストーンズの素晴らしさ、
巧みさがわかっているということだし、
KISSは難しいと思えているということです。
ものの本質を捕まえているから
捕まえていなかった自分の事が
恥ずかしくなるのです。
ということは?
恥じているということは
もっと素晴らしいもの(より理想的なもの)を
捉えている、ということです。
これを恥に対する概念として
「敬」というのです。
尊敬の敬ですね。
つまり、ものの素晴らしさ、
理想というものを見据えていることを
敬というのです。
この恥と敬というのは
コインの裏表のようなもの。
恥じることが出来る、ということは
同時に理想的な素晴らしいものを
見据えることが出来ている、ということです。
だから恥知らずは最悪なのです。
より良い形すら見つけられてない
ということですから。
このように恥じることが出来る、というのは
進歩発展を見据えているということです。
だから、恥じたらそれを慎んで
悪き所は省いて前進する。
それが出来たらギターごとき
誰でもいっぱしに弾けるようになるのです。