昨日、丹波さんから頂いたメールをシェアしたら

バッキングってそこまですごいんですね的なメールを何通かいただきました。

 

丹波さんから頂いたメールはこちら

実は毒をもられている・・・

 

これは掴むべきサイン

プロのギタリストのプレイが、以前とは全然違って見えてきます。

 

今、私も、宅配便に取り組みながら、ソロに変化があるかを試していますが、
ピックを持つ力加減が最も大きく変わりました。

もう、過去のような持ち方ができません。

 

バッキング、リズムギターに取り組むうちに、
いい意味で、自然と矯正されていきました。

 

ウン十年も、ろくにレパートリーもなかったのに、
今では、何曲か、いつでも弾けるフレーズがあります。

 

メールを送ってくれた方々はこういう部分に反応されておられました。

 

 

つまり、ここは未経験だった

つまり、ここは想定外だった

つまり、ここは魅力的だった

 

ということですよね。

 

だから、メール送ってこられたんでしょう。

 

 

まさにここにチャンスがある。

こういうのがサインなんですよ。

 

人はこうなりがち

よく、

自分の上達イメージとか

自分の考えとか

自分の思いとか

 

言われる方おられます。

 

もちろん、自分の内面で起こることは大事にしたら良いんです。

尊重するべきです。

 

 

でも、同時にその自分はどんな自分か、ということを受け入れる冷静さみたいなものは必要だと思うんです。

 

眠れないほど悩んだ話

僕は音楽学校に行ったとき、

 

調子に乗りました。

図に乗りました。

天狗になりました。

 

 

で、先生に痛烈な批評をされました。

 

まさかのバッキング批評。

 

 

「弾けてないで」

という短い一言はそれはそれは僕のプライドをズタズタにしました。

 

 

一晩悩みました。

でも、思ったんです。

 

 

俺は学びたくてここに来た。

先生の言ってる意味はよくわからんけど、この人の見てる景色は俺には見えてない。

だから、この先生の教えについていこう

 

 

こうやって自分のイメージ、考え、思いを一度脇に置きました。

 

今から思えばこれが幸いしました。

 

それから「バッキングを極めたろう、それが俺の道じゃ」と思ってやってきました。

 

僕がこの時にこの道を選ばなかったら今の生徒さんたちとの出会いもないでしょうし、今やっている活動もないでしょう。

こういう仕事につくことも無ければ、一度諦めた家庭を持つこともなかったでしょう。

 

これは代償が高い

人はつい、自分のイメージ、感覚、思いに囚われます。

でも、その代償は高くつきますよ。

 

自分の想定内でしか動けないということは自分の想定内にしかなりえないということです。

 

『いかなる問題も、それをつくりだした同じ意識によって解決することはできない』

アインシュタインの言葉です。

 

 

成長というのは続けていくと進化を起こします。

もう、別人になる、くらいの変化だと思います。

 

別人になりましょう。

バッキングをやるだけのことですから。