別に興味は無いけど弾いてます。

以前、生徒さんに言われた言葉。

課題で取り上げている曲に興味はない。

でも、弾くと良いよ、と言われたから
弾いている。

という意味です。

耳にした時に素晴らしいと思いました。

「この人は大成する」と思いました。

案の定、良いギタリストになっています。

世の中には有名ではあるが
聞く人が聞くと大したものを弾いているようには
聞こえないのがおります。

有名ではあるが、そこに練れたものを感じない。

単にプロモーション、広告宣伝活動を
巧みにやることで認知を広げただけの存在
というのは意外に沢山あるわけです。

別にそれが悪いとは思いませんが
そういうものばかり耳にしていると
辟易してくるのは僕だけでしょうか。

逆にプロ活動なんかしてないし
一見趣味でやっておる、というだけの人に
意外に本物がおります。

「これは何か色んな体験が裏打ちしている」

そう感じさせる演奏をする人がいます。

洋の東西を問わず、古くから
人は顔面や背中にその人そのものが顕れる
といいます。

面白いものです。

演奏にも顕れると常々思います。

先の生徒さんもそうで。

興味はないけど、良いと言われたから弾いていたら
その曲が好きになった、と教えてくれました。

そうやって、先にわかりたがる者や
納得できなければ動けない者には
一生体験できない高みに向かって着実に
進んでいくのです。

例えば、僕が出す課題は古い曲が多いのですが
その真意はあまり語らないようにしています。

語ったところでわかるわけが無いからです。

やった人間にしかわからない。

不立文字という言葉がありますが
言葉にしてもわからないものを伝えないと
いけないことは意外に多いのです。

ならば体験してもらって、
自ら体得していただくしかない。

だから、先の生徒さんのように
自分の考えを入れずにただただ、やる…

そういう素直の権化のような方は
末おそろしいですよ。

※「おそろしい」というのは
「畏れる」ほうです。

もちろん、何でもかんでも素直に受け入れておるのは
一種のバカでありますから
全てを素直に受け入れる必要はありません。

でも、基本的に良いと言われることには
ちゃんと理由があるものです。

その理由がわからないのであれば
素直にやるべきだと思います。

趣味とかプロ志向とかそういうものにかかわらず
出来る人とできない人はこういう部分で
分かれるものだとつくづく感じます。

あなたはどちらへ歩むでしょうか。