うちのリアルレッスンの生徒さんで

セラピストの方がおられます。

 

 

外に出て、公園とか自然の中で

ギター弾いて歌うのが好きという

なんとも癒し系な趣向を持たれている方です。

 

 

そんな彼女から昨日、嬉しい一言を頂きました。

 

 

「まだ、ここに来て3回くらいしか

レッスン受けてないけど

すでに人の目が気にならなくなりました。」

 

 

と。

 

 

そして、ギターがとても楽しいらしいです。

 

 

 

「すごい人やな」と思いました。

 

 

すごく素直な方なんだなー、と思いました。

 

 

 

彼女は外で弾くのが好きだけど、

人の目がすごく気になっていた方です。

 

 

そんな彼女に過去の僕は

 

「どーせ人は自分の演奏なんか聴いてない」

 

と思ったら良いんじゃないですかね。

 

 

とアドバイスしたそうです。

※すみません、アドバイスした本人は

すっかり忘れておりました。

 

 

 

それですごく気分が楽になったそうです。

 

 

 

早速と変化が起こるから、

えらく喜んでくれていました。

 

 

ありがたいことです。

 

 

ただ、同時に、こういうことが起こると

僕はいつの間にやら「すごい人」ということに

されてしまうのですが…

 

これは全然すごくない。

 

 

事実を言っているだけだからです。

 

 

 

僕たちギター弾いている人は

自分が一生懸命やってきたから

人前で演奏しようものなら

みんなが自分の演奏を聞いてくれている

 

と思いがちです。

 

 

 

でも、それって本当にそうでしょうか。

 

 

実際、例えば友達が演奏するから

ということで見に行った時はどうでしょうか。

 

 

その友達しか見てないことが多いのでは?

 

 

 

プロのライブに行った時はどうでしょうか。

 

 

お目当てのミュージシャンしか

見てなくないでしょうか?

 

 

 

もちろん、演奏見に行ったら

お目当て以外も視界に入ってきます。

 

 

でも、それは単に眺めてるだけで

なんかこう、氣を入れて見ている感じ

ではないですよね。

 

 

それと同じで、

彼女の場合は外で弾いているわけです。

 

 

いわば路上ライブみたいなもの。

 

 

ギャラリーは通りすがりの

おっちゃんおばちゃんだったり

ニイちゃんネェちゃんだったりするわけです。

 

 

彼女とは無関係な人たちがいわば

ギャラリー。

 

 

これは何を意味するか?

 

 

彼女の演奏は聴かれてないということです。

 

 

もちろん、「聴かれてない」というのは

「意識的に」聞かれてないということです。

 

 

その事実をお教えしただけです。

 

 

 

でも、事実って強いですね。

 

 

彼女はそれを聴いてすごく気分が楽になって

外でギターをのびのびと

弾けるようになったそうです。

 

 

それで良いのです。

 

 

 

ギターはのびのびと弾く。

 

 

気分良く弾く。

 

 

それが前提。

 

 

その土台がしっかりしてて初めて

他人の耳を意識するステージに

立てると思います。

 

 

まずはカッコつけずに自然体に。

 

 

うまくなりたい、うまくなりたい、と言って

執着してしまっている場合は

もう、頑張らなくてもいいよ、ということです。

 

 

気分良く弾きましょう。