今日は昨日の種明かしをします。
Sさんのコメントの中に
理想の練習があると書きましたから。
答えをお教えするのに
Sさんのコメントを振り返りながら、
解説するとわかりやすいので
引用にコメントをいれていきますね。
毎年どのぐらい成長したかな
と振り返るところですが、
今年はそういった思いが薄い今日この頃です。
まずはこの変化に気づいているというのが
すばらしいと思います。
多くの人は自らの変化というものに鈍感です。
だから知らない間に良くなっていたり
知らない間に悪くなっていることもある。
まずは自分の変化に気づくこと。
これはとてもいいサインなのです。
もちろん成長したかどうかは気になりますが、
それは人としての成長であって、
16ビートギタープレイの成長という点では
あまり気にならない年でした。ギターの成長と人としての成長は
比例すると思ってはいます。しかしながら、今年一年を振り返ってみて、
例年よりも「あ、どんだけ伸びたかな?」とか
「16がちょっとは
分かったつもりになったかな?」
とかそういった思いが湧いてきません。
きっとSさんも最初からこうではなかったと
思うのです。
最初はギターがうまくなりたかった。
そこに情熱を注いでいた。
でも、それを突き詰めるとわかってきたことが
人の成長とギターの成長は比例する
という大きな悟りだったんだと思います。
そうわかった時、人としての成長が出来れば
ギターは勝手に良くなるということも
悟られたのだと思います。
もちろん、こういうことは
口ではいくらでも言えます。
中身がなくても言えるわけです。
でも、Sさんは違う。
こういっています。
↓
言葉にすると上手く言えないのですが、
どうせこの先もずっとギター弾くのだし、
リズムの追求も永遠と続けていくのだし、
だからその成長がどうとか、
上手くなったかどうかとか、
そんなことはどうでもいいよ!、という思いがしています。
これに僕はホンモノを感じます。
自ら掴み取った智慧なのです。
だから、言葉にできない。
総合するとSさんは
ギター上達したかったら
人として良くなればいいということに気づいた。
そして、その気付きが
「うまく弾ける」という結果に対する
執着心を溶かしてくれた。
こういうことなんじゃないかと思うのです。
これは本当に掴んだ人の言葉です。
実際、「弾けるようになった」という結果に
しがみつく人ほど弾けるようにはなりません。
弾けるようになりたいなら
弾けるようになる原因を自らの中に
持たないといけない。
Sさんの場合なら
どうせこの先もずっとギター弾くのだし、
リズムの追求も永遠と続けていくのだし、
こう思えることが原因です。
ギターの成長と人としての成長は
比例すると思ってはいます。
こう思えるのも原因です。
もちろん、効果的なギター練習を
実践しているのも
それを継続しているのも「原因」です。
そうやって原因を持つことで
「弾けるようになった」という
結果は過程になる。
結果をゴールとしている人と
過程としている人。
当然、どちらが目的を達成するかは
いうまでもありません。
是非、Sさんのマネをしてみてください。
最初は中身がなく、口だけになっていいから
ギターが弾けるという状態は過程にするという
「つもり」で弾いてください。
追記
今回の話を聞いて
『じゃあ、その原因(上達の核)って
具体的に何なの?』
と気になったなら、
是非、電子書籍をご覧になってください。