世の中には色々ものを知っている人がいます。

雑学王なんていって、
知識量がすごい人がいます。

これはすごいことです。

しかし、クイズ番組に出る分には
素晴らしいことかもしれませんが
ギターでこうなるととても痛々しい。

理論やコードの知識を振り回しながら
いざ弾かせたらろくろく4分音符も弾けないと
なると目もあてられません。

この「4分音符もろくろく弾けない」
というのは音楽学校時代に
僕が師から指摘されたことです。

なんとも恥ずかしかった。

当時、音楽の知識や理論には
詳しかったのではないけど、
演奏はそれなりにできてるつもりだっただけに
顔から火が出るほど恥ずかしかったです。

大して知識も理論も知らないくせに
演奏出来てるつもりだったなんて…

目もあてられない。

しかし、学校卒業して
プロギタリストの経験もして
レッスン始めると
意外に僕と同じ人はたくさんいると
教えられました。

技能とは不思議なもので
真剣にならないと身につきません。

趣味だの云々言って
やるべきことをやらない、
探求を止めてしまうと残念な結果になる。

私淑している先生が

勉強というのは人間と人間、精神と精神、
人格と人格が火花を散らす様にやるものだ

と残されているのですが
これはギター演奏でも同じこと。

真剣さとは火花が散るほど
摩擦が生じるものだと思います。

技能においてもこれはそうなのです。

ギターで言うなら
楽譜を見て指がテンポに追いついたら良いと
言って練習している人はたくさんいます。

もちろん、これは素晴らしいことなんだけど
それで終わっていると、必ずや朽ちてきます。

自分はそれなりに色々弾けるようになったから
新たな経験をしたら良い

などと言い始める。

確かに本人の感覚としては
色々弾けるようになったんだろうけど
その実は、浅瀬で遊んでいるだけなのに
まるで大海を知ったかのように
振る舞っているだけだったりします。

これはなかなか痛々しい。

そうではなく。

楽譜を見て、指が追いつくようになったら
それはそれで良しとして、そこで終わらずに
演奏体験からその曲を創った人の人間、
精神、人格を味わうのです。

それが音楽と真剣に向き合うということであり
人間と人間、精神と精神、人格と人格が
火花を散らす事になると思います。

もちろん、答えなんかくれません。

自分で見出すしかない。

もちろん、ギタリストの伝記やインタビューなんかを読むことはヒントになるけど
正解なんかわかりません。

自分が真剣にその演奏を残したプレーヤーと
対峙するとそんじょそこらの練習法なんかでは
物足りない味わいを感じることが出来る。

それが積み重なると、
音を聞くだけで、

「あ、これは何か気になっていることがあって
演奏に集中しておらんな」

とか

「これはすごい、完全に演奏に没頭しておる」

なんてことが見えてきたりする。

もっと具体的なことをいうなら
どんな角度でどんな硬さのピックを
どれくらいの力加減で当ててそうか、
などという実用的なことも
音から読み取れるようになるのです。

こういう言葉に尽くせないものが読み取れるのが
音楽が楽しいといわれる所以の一つだったりする。

技能というのはこういうものだと思います。

ここに趣味だのプロだの、
カンケーない。

時間がある、ない。

体調の良し悪し。

経済的に豊かが貧しいかもカンケーない。

ただただ、時間、労力、お金、情熱、精神力…

なんでも良いけど持てるものを注ぎ込んで
自分と向き合い、音からプレーヤーと向き合う。

これがアートだと思う。

芸とはそういうもので、
その結果、術(つまり、技能)が
身につくのです。

そうやって全力でぶつかることをやると
音楽はとても大きなものを返してくれます。

この文章を読んでピンと来る場合は
自分なりで良いので真剣にやってみてください。