昨日、こんなのを書きました。
これに対してお返事いただきました。
ギター弾きのリアルがここにあると
思ったので紹介します。
↓
お世話になっております。
Mです。この話を聞いて、ハッとさせられました。
ライブで私も同じようなことを毎回経験しています。
いつも良い演奏をしようと思って固くなってしまいます。
演奏の途中でそれに気づいて、間違えても良いから
結果を手放して楽しもう、感謝の気持ちを持って
演奏しようと気持ちを切り替えて演奏しています。毎回それの繰り返しです。
学習能力がないというか…いつもスタジオで練習している時はほとんど指板を見ずに
身体を動かしながら演奏できますが、なぜかライブだと
指板ばかりを見て固くなってしまっていることに気づく
のです。毎回、軌道修正するのですが、結局スタジオの時ほどの
パフォーマンスはできていないと思うのです。やはり結果を気にしているんですね。
曲を味わう、音を味わうことを意識して演奏できる
ように努めていきたいと思います。M
まさにこういう事なのです。
ギターの暦や経験、腕前に関係なく、
人は人に演奏を披露したいと望みながらも
いざ、その場に赴くとなかなか肝が座らないもの。
そこに人生をかけた
修養要素があると思います。
舞台に上がるとふわふわして
肝が座らない。
舞台から逃げたしたくなる人もいる。
それはその人の中ではある種の
極限状態と同じ構図があると思います。
特にアガり性の人ほどそうでしょうね。
それを嫌がる人もいるけど、
それを楽しめるようになったら初めて
人として肝が座るのだと思います。
動じなくなる。
それを「度胸が付く」と言ったりするけど
本当の度胸というのは、
肚が座っている状態だと思います。
そもそも「アガる」というのは
「人にいい格好を見せたい」「失敗できない」
とある意味、本能的に思うことからくるわけで。
本能だからこそ、どれだけ経験を積もうが
関係なく経験するものなのです。
ここは経験の問題ではなく
その人の養ってきた世界観、
その世界観を持つに至った人格の問題だ
と思います。
極端なことを言えばいくら苦労しようとも
反省がなく、いつまでも現実に振り回されたり
人格的に賤しい状態を続けていると
ずーっと問題がつきまとってくる。
でも、アガりを経験して、
ときには人に罵倒もされ
ときには人に褒められもして
プライベートでも仕事でも
理不尽なことを経験して
反対に嬉しいことも経験して…
何によらず喜怒哀楽を経験することを通して
世界に対しての悟りが得られるようになればなるほど
人の肚は座るモノ。
最近は「老害」などと
とんでも無い言葉が横行しております。
ろくでもない言葉だと思うけど
一面、「そりゃ、それでは
『老害』と呼ばれても仕方なかろうに」
と感じることもある。
人間の内容を養わずに
生きてきた経験値だけを
振り回して居るようなのもいるのが現実です。
(だからといって「老害」などと
言ってはならんとおもうけど。)
音楽1つとっても
趣味なんだから別にテキトーにやっておればいい、
などと思っている人と…
趣味とか関係なく音楽を通して
精神的な課題を見出す人は
やはり、結果が違う。
時間が経つほどに顕著になると思います。
かの世阿弥はいいました。
一芸は万芸に通ず
と。
宮本武蔵は
「一道は万芸に通じる」と残しています。
芸は道に入ったものをいうのであって
これは奇しくも同じ結論に至っているのです。
方や能楽、方や武道。
音楽もこれと同じ事が言えると思います。
手前味噌で恐縮ですが、
音楽しか知らなかった僕が
会社経営できるようになっているのは
音楽と会社経営と通ずるところがあるからです。
ギター1つでも馬鹿になりません。
追求して道に入ると
他の活動と同じでは無いかと
思えるようになってきます。
そこまでいけたら
一生モノの財産になることでしょう。
せっかく掴んだギターや音楽という
可能性。
是非、これを使って人生を豊かにしてもらえたら
望外の喜びです。