あるところにものすごい宝石の原石を見つけた男がいました。
男は心優しく、国に尽くす人でした。
迷わず王様に献上。
ところが、王様はこの原石が本当にスゴイ宝石になるのかわかりませんでした。
そこで鑑定者に見てもらうことにしたのですが、その鑑定者も価値がわかりません。
結局「ただの石ころ」としてあつかわれ,男は王を騙そうとした罪を着せられ、片足を切断されてしまいます。
時は経ち、王様が代替りしました。
男は今度も王様に原石を献上しましたが、またまた王様も鑑定者も価値がわかりません。
また、「ただの石ころ」として扱われ、男は残る片足も切断されてしまいました。
時は経ち、王様がまたまた代替りしました。
男は王様が代替りしたことを聞いて原石と共に山にこもり、とにかく泣き続けました。
当時は迷信がはびこり吉兆凶兆を気にする時代。
新しい王は気になり、男のものへ遣いの者を差し向けました。
遣いの者は男から事情を聞きました。
「本当かウソかはその石を磨いたらわかるんじゃないか?」ということになり、王様はその原石を磨かせました。
すると最上の輝きを放つこの世に2つとない宝石になった。
王は男にこれまでの不明をわび、多大な褒美を授けた、という話し。
これは紀元前の昔から伝えられている話ですが、今でもこういうことはあると思いませんか?
自分が理解できない=その言い分はニセ物
自分が理解できない=その言い分はウソ
自分が理解できない=その言い分は間違い
こういう判断を僕達は下しがちですが、この話を聞くとそう考えるのは早計かもしれないと思いませんか。
ニセ物だの嘘だの間違いだと主張する前に自分の理解の至らなさを振り返る事が出来たら、、、
ギターでも人生で起こる他の事も、もっとうまくいく可能性は高いです。
僕もこんな偉そうなことを書いてますが、自分も意識しないといけないことだと思います。
自戒をこめて。