ここで才能について書きました。

 

 

才能の養い方

 

 

 

ちなみに、才能とは

なかなか自覚できるものではない、と思えてなりません。

 

 

だからこそ、眼の前に現れたことや

自然とやることになったこと、

やりたいと思えたことを丁寧にやることが

才能を教えてくれることになると思っています。

 

 

 

一つ例があるのでシェアしましょう。

 

 

僕はずっと自分が不器用だと思っていました。

 

 

ところがある人と僕ら夫婦で話している時に、

その方が「よしさとさんは器用ですね」と

口走ったんです。

 

 

「え?」と戸惑っていると、

妻がすかさず「そうですね、器用です」という。

 

 

 

あとから話を妻に聞いてみると、

意外なことがわかりました。

 

 

妻から見ると僕は…

 

努力家で、やると決めたことは

たいてい仕事になるレベルまで

高めることができる器用な人間

 

らしいです。

 

 

 

聞いた自分はびっくりです。

 

 

ずっと不器用だと思っていたのですから。

 

 

 

念のためにうちのアシスタントに

この話をしたら彼も

 

「あー、奧田さんはそうですよね。

 

何でもできるイメージがある」

 

と口にしていました。

 

 

もう、受け取るしかないし、

受け取って悪いことではないから

「ありがとう」といって

器用な人間ということにしております。

 

 

 

このように人は才能に関して

自覚できないのが普通だと思うのです。

 

 

自分のことを知らないのです。

 

 

これくらい人は自分のことをわかってない、

ということです。

 

 

 

そして、それを何もひけらかす必要は

ないのですが

(便宜上ひけらかしてしまいましたが)、

自分でひっそり自覚していることは

ギターを弾くうえでも重要なのです。

 

 

 

自分が今取り組んでいることは

天の才覚があるからこそ

眼の前に現れたのです。

 

 

だから、それを才能だと思って取り組めないと

「やっても無駄」とかそういう自虐的なことを

考えかねないのです。

 

 

今、やっていること

 

今、やりたいと思っていること

 

今、やりたいとは思わないけど

やることになったこと。

 

 

すべて、才能があるから

やることになっているのです。

 

 

だから、四の五の言わずにそれをやりましょう。

 

 

せっかくやるのだから、

ありがたくやらせていただこうではありませんか。