僕には恩師がいます。

 

 

恩師といっても「学校でお世話になりました」的な

軽い感じではなく、

「人生を変えてくれたメンター」

みたいな感じでもありません。

 

 

僕という人間を生まれ変わらせてくれたレベルで

人生を変えてくれた人です。

 

 

 

16歳の時に出会って、今年で31年目。

 

 

僕はずっと先生の教えてくれたことを愚直に

毎日守り続けています。

 

 

よく、先生を超えるのが生徒の役目とかいうし

同意もするのだけど、僕の先生に関しては

例外です。

 

 

僕は超えられないし、超えたいとも思わない。

 

 

そこまで心服している先生がいます。

 

 

あまりに心服しすぎて、ご存命なのにも

かかわらず会うのを畏れるほどです。

 

 

一度、先生の夢を見たけど、僕は恥ずかしながら

おんおんと泣いていました。

 

 

 

そんな先生との関わりはたった1年間。

 

 

でも、その後の僕の人生を歩むのに

十分な教えをくださいました。

 

 

その先生が教えてくれたこと。

 

 

その一つが「楽しいことをやれ」という教えでした。

 

 

 

フツーだと思うでしょう?

 

 

でも、これ、なかなか出来ないものなのですよ。

 

 

 

例えばギターでもあります。

 

 

基礎だから…

 

必要だから…

 

といって運指練習をいつまでもやってませんか?

 

 

楽しいことだけやってうまくいくなら

苦労しない

 

などともっともらしいことをいって

その真相は自分が信じやすい…

 

でも、ただ、苦しいだけの道を

見つめられないだけだったりするかも知れません。

 

 

 

勿論、僕の先生はギターの先生ではないから

教えが通用しないと思われるかも知れません。

 

 

まぁ、反論なんかいくらでも出せるでしょう。

 

 

何故か、苦労することを目的にしているかの

ような態度を取る人は多いです。

 

 

 

でも、そうやって、やりたくもないことを

「必要だから」と割り切って自分に課していくと…

 

練習が続かなくなるものです。

 

 

続かなくなる=挫折ですよ。

 

 

少なくとも挫折率高し、とは言える。

 

 

これだけでも「なにかおかしい」と

思った方がいいのでは、と思います。

 

 

 

もし、仮にそれで弾けるようになったとします。

 

 

でも、その代償は大きいことに

気づいているでしょうか。

 

 

それは…

 

「物事をうまくやるには苦しいことに

耐える期間が必要だ」

 

と自分で自分を教育したことになるのです。

 

 

この教育がもたらす弊害は大きいですよ。

 

 

自分がなにか新しいことをやるときには

莫大なエネルギーが必要という体質になります。

 

 

莫大なエネルギーが必要だから、出来ないと

可能性を閉ざすケースだってゴロゴロある。

 

 

 

あなたが誰かにアドバイスを求められたときも

大変ですね。

 

「物事をうまくやるには苦しいことに

耐える期間が必要だ」

 

と思っているから耐えられない人を見た時に

批判したくなるでしょう。

 

 

でも、本当はあなたが通った道だけが

正解ではないのです。

 

 

なのに、批判するのだから

良き人間関係を創るのは難しいのは

言うまでもないことです。

 

 

よく、上司部下の人間関係で困る人がいるけど

先のような信念がそういうのに影響している

ケースってゴロゴロあるように見えます。

 

 

 

楽しくやる。

 

 

これはなかなか奥が深いのです。

 

 

あなたは楽しくやれているでしょうか。

 

 

 

追記

 

ちなみに2500年前に生きた

孔子は

 

「知好楽」

 

という教えで同じことをいっています。

 

 

楽しめる人間は最強なのです。