先日、世阿弥の教えを引用して

ギターの話を書いたらえらく反響があったので

世阿弥関連の話でもう一つ

シェアしようと思います。

 

 

風姿花伝の中で世阿弥は

道を極めるための三悪という話を

書いています。

 

 

 

そんなことを言うと…

 

「別に俺はギターを極めたいとは思っていない」

 

と思う方もいるかもしれません。

 

 

もちろん、それはそれで良いですが…

 

ギターで人生という「道」を

悟ることもできるのです。

 

 

「一芸に秀でるものは多芸に秀でる」

 

 

つまり…

 

「一芸は万芸に通じる」というのは

風姿花伝にも出てくる文言ですし、

宮本武蔵の「五輪書」にも出てくる文言で

有名です。

 

 

「一芸は道に通ずる」なんていうのも

あるわけです。

 

 

つまり、1つのことを貫く人は

全てを悟るということです。

 

 

換言するなら人生を悟るわけでしょう。

 

 

なので、こう言われても

なんとも思わないならここから先は

読んでも面白くないかもしれません。

 

 

でも、こういうことにピンとくる場合は

是非、御覧になってください。

 

 

可能性が開く瞬間にいるかもしれません。

 

 

 

さて。

 

世阿弥が残した道を極めるための三悪ですが…

 

こう残しています。

 

 

好色・博奕・大酒・三の重戒、
これ古人のおきてなり。

 

 

訳すると…

 

異性と戯れる、ギャンブル・博打、大酒を

食らうというのは

古人(この場合は、世阿弥の父観阿弥)が

定めた掟である。

 

 

異性、博打、大酒。

 

これを避けるのが掟と言ってるわけです。

 

 

 

異性…

 

確かにこれは歴史が証明しております。

 

 

色仕掛けなどというでしょう?

 

 

実際、古い話しの中には

王様が女漬けにされて骨抜きにされて

王朝が潰れる、なんて話は

いくつもあるわけです。

 

 

古い話を持ち出さずとも人生体験的に

過度な異性との戯れは精神的にも肉体的にも

精力が尽きてしまってやる気が失せるわけです。

 

 

 

ギャンブルは益を産まないにも関わらず

依存性が強い。

 

 

つまり、時間と労力のムダが大きくなりやすい。

 

 

 

大酒は単純に身体のコンディションが

保てなくなる上に依存性もあるから

これも禁じたほうがいい。

 

 

 

要はどれも過度にやりすぎると

道を悟ることは出来ないと言うわけです。

 

 

道を悟るどころかギターに置き換えるなら…

 

演奏技術1つ身につくのに

時間はかかるでしょうね。

 

 

ギターを続けることすら怪しくなる思います。

 

 

 

もちろん、少量は問題ないでしょうけど

行き過ぎるとヤバいのは何でもそうです。

 

 

でも、先の三悪は特にヤバいということだと

思いますし、個人的に経験上

ごもっともな教えだと思います。

 

 

こういう部分からセルフコントロールすると

最初は戒律的に見えて堅苦しくて

嫌に感じるかもしませんが

意外と慣れたらこれが心地よくなるものです。

 

 

やった人にしか

わからない感覚でしょうけどね…。

 

 

でも、やったらわかるわけですから

一度三悪のうち一つだけでも節制してみたら

その威力に感動するかもしれません。

 

 

参考になれば。

 

 

追記

個人的にはこの三悪を去ると、

ギターだけではなく、

人生における他の活動も

パフォーマンス高まると思います。

 

 

活動の結果もいいものになり、

身体も快適になるのでおすすめです。